相対評価と学ぶ意欲
 周知のように新指導要録から相対評価がなくなり、目標に準拠した評価が全面的に採用されることになった。
 戦後最初の指導要録から相対評価が採用され、根強く連綿として続いてきたその歴史にようやくにして幕が下りつつある。 しかしながら、「教育評価イコール相対評価」と考える思考の枠組みは私たちの中に澱のように残存していて、取り除くこ
とを執拗に拒み続けている。

 「教育評価イコール相対評価」という考えでは、評価活動とは子どもたちをネブミして、序列化することであった。
 「評価を何に喩えますか」というアンケートに「焼きごて」と応答したものがあったが、評価活動とは「できない」という烙印を
押され続けることであったという回答者の惨めな体験を彷彿とさせるものであった。このような苦い体験を持つ者にとっては、
評価活動こそ学ぶ意欲を挫き、学校生活を暗やみにする元凶そのものであった。

 他方、この序列化競争で生き残ったと感じた者は、評価活動こそ何よりも自らを鍛え、鼓舞する装置として映った。
 そこには、さらに「競争こそ進歩の原動力」とするイデオロギーが、彼らを励まし正当化していったのである。先の敗者の
遠吠えを後ろ影にして、序列化競争を導く評価活動にこそ学ぶ意欲の源泉があるとするこの考え方には、ある時期明るい
未来が約束されているかにみえた。
 しかし、相対評価は敗者のみならず勝者にも深刻な烙印が残ることが明らかになってきた。

 勉強とは勝ち負けを決めることであるとする勉強観。努力しても努力しても常に不安がつきまとうという強迫観念。
優越感と劣等感の間をさ迷う心性。そして、受験競争からの「解放」が同時に勉強それ自体からの「解放」になっていく。
まさしく、相対評価は学習活動にとって外的な動機づけにしか過ぎなかったのである。

                                     『学ぶ意欲を生み出す評価活動』
                                      田中 耕治(京都大学教授)
                                      雑誌「教育展望」 2003.9月号 p.15



「自己評価と学ぶ意欲」
 このような「フィードバック」というメカニズムを活用しての学ぶ意欲へのアプローチは、たしかに排他的な競争を動因とする
学ぶ意欲よりも、子どもたちにとってより内在的な性格を持つものである。しかも、すべての子どもたちによる目標の共有化が
はかられることによって、その意欲は孤立したものではなく集団の支えによってより豊かな内容を具有する条件を持つことに
なった。

 しかしながら、元来は工学的な発想によってモデル化された「フィードバック」というメカニズムは、評価活動を含む
教育と学習の営みのすべてを説明し尽くすものでない
ことが明らかになってきた。とりわけ、学ぶ意欲と評価活動の関係
から述べれば、子どもたちの自己評価の位置づけが弱いことが指摘されるようになる。この点を次に考えてみよう。
 
 目標に準拠した評価が行うフィードバックは、その設定された目標に子どもたちが到達しているのかどうかをたんに点検し
ているのに過ぎないのではないか。
 その目標に向かって葛藤している子どもたち、さらにはその目標に回収されない豊かな活動を展開している子どもたち、
そのことを通じて目標それ自体に揺さぶりをかける子どもたち、そのような子どもたちの自己評価活動を明確に位置づける
べきであるという主張が強調され、自己評価は目標に準拠した評価とは二項対立しているという構図が描かれることになる。
 
 本来自己評価とは、子どもたちが自分で自分の人となりや学習の状態を評価し、それによって得た情報によって自分を確
認し今後の学習や行動を調整することである。
 自己評価能力は、メタ認知とかモニタリングとも呼称される。
 したがって、子どもたち自らが自分の値打ちを発見し、その歩みを確認できる「自分さがし」や「自己決定」を行う指導場面や
評価場面が必要とされるのである。

 かつて、庄司和晃は、「教育というのは自分自身がスバラシクナッタという自覚を子どもにたえずもたせる仕事だ」と
して、そのために「子どもが自分で自分を評価しやすいようなてだてを講じてやること」つまり自己評価のさまざまな方法を提
案している。
 この庄司の主張は、教育評価が真に成立するためには常に自己評価の契機を本質的に内包している必要がある
ことを示している。
 逆に言えば、自己評価の契機を欠如した評価方法があるとすれば、それは単なる判定行為に過ぎなくなり、「指示
待ち人間」の育成を結果することになると考えられた。

 自己評価の核心は、実践場面において、子どもたちの「自分さがし」や「自己決定」を尊重することである。それは、子ども
たちの発達可能性や有能性に対する共感を背景としている。そうであれば、たとえば「自己評価カード」に記入された内容
は授業場面で活用することをもっと重視すべきであるし、さらに進んで評価活動に教師と子どもたちの合意場面をつくること
(テストのねらいや基準をオープンにして、子どもたちとの約束とするなど)も考えるべきだろう。
 
 このような自己評価の本質に根ざした取り組みを通じてこそ、子どもたちは文字通り自己学習能力を形成していくのである。
 しかしながら、ここで注意しておきたいのは、自己評価と目標に準拠した評価とははたして相対立するものなのかという点
である。この点について教育心理学の分野で注目すべき調査結果が報告されている(鹿毛、1996年)。
 それによると、「(目標に準拠した評価の典型的な形態である)到達度評価をするかしないか」と「教師のみが評価するか、
児童自身も評価するか」という二つの次元を組み合わせた調査(小学校5年生の算数授業) が行われた。
詳しい調査手続きは省略するとして、その結果は「『到達度・自己評価』のように、評価基準が学習内容とのかかわりで示さ
れつつ、評価過程に学習者が積極的に関与できるような評価のあり方が、考えようとする態度を育成する可能性がある」と
報告されている。

 この結果は、子どもたちの学ぶ意欲に対して、自己評価と共に目標に準拠した評価が重要な役割を演じていることを示し
ている。

 自己評価の重要性が指摘され、先にみたようにさまざまな実践が試みられている。
 しかしながら、その自己評価が強調される文脈が、「教え」か「学び」かという二項対立を前提として、あたかも自己評価で
評価論が自己完結するかのような印象を与えている。
もとより、子どもたちが「自分は前よりもよくわかった」とか「自分はこれはできないが、これならできる」と評価できるには、
またその評価が極端な主観性を免れるためには、教師の側からのねらいに即した評価を提示し、教師による外的評価と
子どもたちによる内的評価の双方向からなる関係性を創り出すことが大切である。
 外的評価は内的評価をくぐることによって、内的評価は外的評価に照らし出されることによって、確かな学ぶ
意欲に裏づけられた自己評価能力の形成が可能となるであろう。

                                   「学ぶ意欲を生み出す評価活動」
                                    田中 耕治(京都大学教授)
                                    雑誌「教育展望」2003.9月号 p.17..19