「自ら学ぶ意欲」は
不滅である

 みなさんの中に、自ら学ぶ意欲は永遠になくなってしまうものと考えている人はいないだろうか。これは間違いである。
 自ら学ぶ意欲には"みなもと(源泉)"がある。これは決してなくならない。
 それゆえ自ら学ぶ意欲も、低下したり増大したりすることはあっても、永遠になくなってしまうことはないのである。
 それでは、自ら学ぶ意欲の"みなもと"とは何だろうか。それは「知的好奇心」という欲求と「有能さへの欲求」である。
 欲求の代表格である「食欲」を考えてみればすぐわかるが、食欲は決してなくなることはない。
 同様に「知的好奇心」という欲求も「有能さへの欲求」もなくなることはないのである。
 
 私たちは誰もが「知的好奇心」という欲求と「有能さへの欲求」をもって生まれてくる。それゆえ、誰もが学ぶことに対して意欲的で
ありうるのだ。

 自分のことを考えてみよう。知的好奇心の現れとして、あなたはおもしろいと思うこと(興味があること)には積極的に取り組むだろうし、
有能さへの欲求の現れとして、有能になるために(あるいは有能であると他人に認められるために)一生懸命頑張るのではないだろうか。
 
 この二つの欲求がある限り、私たちは自ら学ぶ意欲を永遠に失ってしまうことはない。
 それではどうして、自ら学ぶ意欲の低い子どもがいるのだろうか。

 それは「知的好奇心」という欲求と「有能さへの欲求」が、日々の生活の中で十分に満たされないケースが多いからであろう。
満たされない欲求は空気の抜けた風船のようにしぼんでしまう。
具体的に言えば、おもしろいと思うことを追求したり、学ぶことを通して有能さ(自信)を感じたりする機会が少なければ、すなわち「知的好
奇心」という欲求と「有能さへの欲求」が十分に満たされなければ、私たちは意気消沈し、自ら学ぶ意欲を一時的に失った状態になるので
ある。

 したがって、自ら学ぶ意欲を十分に引き出すためには、「知的好奇心」という欲求と「有能さへの欲求」を満たしてあげることが重要である。
 おもしろいと思うことに挑戦し、その挑戦がうまくいって有能であると認める、あるいは認められることが不可欠なのだ。
 ところで、ある程度「知的好奇心」という欲求や「有能さへの欲求」が満たされると、学ぶことの「おもしろさ」、学ぶことへの「自信」が形成さ
れる。さらに、こういったおもしろさや自信は学ぶことの「たのしさ」を生み出すようになるだろう。

 なぜならば、おもしろく自信に満ちた学びは、たのしいものであるからだ。
 私たちの心の中に学ぶことの「おもしろさ」「自信」「たのしさ」が形成されれば、それらが「知的好奇心」という欲求や「有能さへの欲求」を
刺激し、自ら学ぶ意欲を"安定して"発揮できるようにしてくれる。

 結局のところ、自ら学ぶ意欲を維持していくためには、子どもに学ぶことの「おもしろさ」「自信」「たのしさ」を感じとってもらうことが大事な
のである。親や教師の任務はそれを援助することであると思う。

                                       「自ら学ぶ意欲のアセスメントと育て方」
                                        桜井 茂男(筑波大助教授)
                                        雑誌「教育展望」 2003.9月号 p.42..44



「自ら学ぶ意欲を
アセスメントする」

 さてここでは、自ら学ぶ意欲をどのようにアセスメント(評価、診断)するかについて話を進めよう。
 アセスメントの基本は「教師による子どもの観察」である。学校で子どもが学ぶ様子をつぶさに観察すれば、子どもの自ら学ぶ意欲は
おおむね査定できると思う。
 毎日繰り返される学習活動には、その子の意欲の特徴が現れる。私はどの子にも意欲的に取り組める教科(分野)や活動があると信じ
ている。誰にだって好きなことの一つや二つはあるものだ。
 いつでも無気力な子どもはまれである。
 そう考えて観察を続けると、自然に子どもの意欲的な教科(分野)や活動が見えてくるから不思議である。
 ところで、どんな観点を設定すれば、子どもの自ら学ぶ意欲は観察できるのだろうか。
 これまでの研究によると、三つくらいの観点が指摘されている。

 一つは「挑戦行動」である。
 いま現在解けるような問題よりも、少し難しい問題に挑戦しょうとする行動である。
 いつもやさしい問題あるいは難しすぎて歯が立たないような問題に従事しょうとする子どもは総じて意欲が低い。
 やさしい問題に取り組む子どもはまさに意欲がない子どもであるし、難しすぎる問題に取り組む子どもは、できなくて当たり前であるため
に、他者からの評価が下がらないことに安住している意欲のない子どもなのである。
 
 二つ目は「独立達成行動」である。
 できるだけ自分の力で問題を解決しょうとする行動である。もちろん、どうしても自分の力で解決ができないときは、教師や友だちや親に
教えてもらうことが必要である。
 しかし、わからないことがあると、すぐに誰かに教えてもらおうとする行動は意欲のないことを示している。

 三つ目は 「情報収集行動」である。
 与えられた情報に安住することなく、自分で積極的に情報収集を行い、それらを総合してよりよい答えを見いだそうとする行動と、問題の
所在を明らかにするために多様な情報を収集してその中からもっとも重要な問題を見いだそうとする行動に分けられる。
 前者は問題を解決するために行う情報収集行動であり、後者は問題を見いだすために行う情報収集行動である。
 いずれも、自ら学ぼうとするために行われる学習行動といえる。

 こういった三つの観点からの観察ができれば、自ら学ぶ意欲のアセスメントはかなりうまくいくのではないかと思う。
 ただ、こういった観点で子ども自身が自己評価をすることも、教師によるアセスメントの参考になるのではないだろうか。
 子どもがとらえている自己像がそこにあるからだ。もっともそれを鵜呑みにするのは危険であろう。
 ひょっとしたら、自分をよく見せようという気持ちが強くて、社会的に望ましい方向に片寄った回答をすることがあるからだ。自己評価は
生涯学習時代には重要な能力であり、おもに小学校中学年以上の教育の中で育てることが大事である。

                                    「自ら学ぶ意欲のアセスメントと育て方」
                                     桜井 茂男(筑波大助教授)
                                     雑誌「教育展望」 2003.9月号 p.45..46