◆脳の性質を生かした指導◆
 左図には、ある文字群が隠されている。
 それが何だかわかるだろうか。

 これがいったい何であるか、を伝えるのが「教育」だとすると、脳科学の観点から言えば、「その正体を上手に隠してあげるのがほんとうの意味で教えること」だと論ずるのは、東大大学院准教授の池谷裕二氏(脳科学研究者)。

 これまでの教育は、モノを教えるとき、まず情報を開示して、それを暗記させることが大前提であった。しかし、脳のおもしろいところは、わずかな情報から全体を読み取る能力を持つこと。

 同じ図であっても、下の図のように隠し雲を加えて見せれば、何の文字が書かれているか手がかりが得られ、推測が可能になる。隠し方を工夫するだけで、見えていない部分を推し量って読み取ることができる。

 氏は、何を(どこを)どう隠すか、すなわち「教える側の隠すテクニック(隠し方)」が、脳本来の性質を知って脳を働かせつつ育てる「教える」ことに他ならないという。
 「わずかな情報から全体を読み取ることができる」という脳の働きは、人間がコミュニケーションをするときに最も重要な基盤になることだが、答えを提示して教えるというのは、コミュニケーションのうちのほんの一部でしかなく、残りは相手に悟ってもらうということが大切だ。

人間の脳は1をうまく教えてあげれば、残りの9を全部悟る力がある。

 だから、最初の図を見せて、これは「ABC」が書かれた図であると教えるのは一見効果的であるように思えるが、それは「モノを悟る」とか「流れを読む」、「空気を察する」などの人間としての重要な能力を育てることを蔑ろ(ないがしろ)にすることに他ならない、と言うのだ。

 答えを教えるのが教育ではないし、同じ意味で答えを覚えることが学習ではない。
 
答えに至る道筋を探り、答えを導き出せると思われる手段を探り・試行し、答えに近づこうと問いを発すること、あるいはそのことに心を弾ませることの妙味を味わうこと、それが自律的な学びにつながるはず。

そこでは「うまく教えること」以上に「問う心」に働きかけ、刺激できるよう「うまく隠す」ことが重要になる。それが人間の脳が本来持つ性質を生かし、脳が喜びを感じつつ育つような教育にもつながるのかも知れない、と自らの持論に結びつけて氏の論ずるところを読み、考えた次第である。