私たちは日常生活の中で、さまざまな事象に遭遇し、その都度その事象に対処すべく適正だと思われる行動を選択したり創出したりして、対応しながら生活を送って(つくりあげて)います。
すでに経験した事象(あるいは事態)であれば、過去に経験したことのある事態を参考にし、その対処法としてうまくいったいくつかの方略の中から、今回の事態にうまくあてはまりそうな方略を選択し、その場を切り抜けるということができますし、新たな方略を採用するにしてもこれまでの方略に少し手を加えるだけのマイナー・チェンジで済ますことができそうです。
ところが、日常生活の中で起きる事態はすでに経験したことよりもむしろ未経験のことが多そうです。子どもたちの日常の学習の中では、出会う事態のほとんどが「未知のものごと」「未経験のことがら」だとも言えます。
そのような「まだ知らないこと」を自分の中に取り込み、それまでの自分の「知の枠組みや組織」を組み替えること、即ち「知の体系」を築き直す活動が学習だと考えられますが、築き直す時(再構築する時)に生じる障害や壁によって自己内に発生するのが「問い」で、これこそが学習を前に推し進める一方の力だと言われています。
もう一方には、障害を乗り越えようとする時に感じられる喜びや喜びに対する期待(効力予期)があるのですが、ここでは前者を話題として取り上げたいと思っています。
そのような障害や壁のなかみは、それまでの「知の体系」と「新たに出会った事態」との間に見いだされる「ズレ」や「衝突」だと考えられます。
自分は今までこうだと思って疑わなかったのに、今見た事実やつきつけられた事象は様相が違っているぞ、と感じた時に生まれる「認知のズレ」がのっぴきならない「問い」となって探究活動が展開されるのです。
「問題は○○です。あなたはこのことに不思議さを感じて解決行動を起こすべきです。」と言われたからといって探究活動を起こせる保障はどこにもありませんし、むしろ起きるはずがないと言っても良いでしょう。
大切なことは、そのような「ズレ」や「衝突」が自然に起きてしまうような事象をどう提示するかだと思われます。
人間はとりわけ知的好奇心の旺盛な存在ですから、そのような「ズレ」や「衝突」を意識すると、他から指示されなくともその「ズレ」を解消しようとして解決行動を起こしてしまう、つまり「主体的に取り組んで」しまう傾向を持っているからです。
その「認知のズレ」が、問いだけでなく、解決への意志や意欲を子どもの内に生み出した時、その問いは単なる問いではなく「課題意識」を伴ったという意味で「課題」となったと言えるだろうと思っています。
ですから、「○○について調べよう」と言われればそれだけで「課題解決」に向けての探究活動に踏み切れるわけがないと言えます。もし、そう言われただけで何事か活動を始めることができるにしても、それは自分にとって本当に意味のある「調べ・探る・見つけだす・つくりあげる」学びとりの活動ではなく、書かれているものを写し取るだけの行為であったり、疑いもなく受け容れるだけの行為であったりするのではないでしょうか。
それでは、疑問が氷解するはずもなく、もっと別の言い方をすれば、もしかしたらもともとその子の中に疑問など生じていなかったのではないか、だから「写し取る」だけで安易に「わかった」かのように気分を感じて満足できてしまったり、この程度でいいかと安心してしまうのではないか、とすら思えるのです。
せっぱつまった「なんとかしたい」「納得してみたい」という願いがベースにあることが「課題」の真の姿だと言えますが、それはずいぶんと「緊張感」や「イライラ感」を伴うものです。もちろん、解決したいという意志や解決できそうだという効力予期を伴ったものとして考えれば、それは決して「不快な」緊張ではないと思われますが、ともかくそのような緊張感を伴わない「問い」はその子にとって何とかしたい「課題」とは呼べないはずで、そのような「問い」は自己とは無関係な単なる「質問」でしかないと言うこともできます。
「なぜ?」「おや?」「本当?」「それでいいの?」「違うだろう?」「どうしよう」「すごい!」「むむ!」「えっ!」などとさまざまなレベルで驚いたり感動したり首を傾げたりすることが緊張や不安を生み出し、それが「問い」の発生につながっていくと思われますが、そのためにどういう場面に遭遇させてやれるかが教科の専門職としての教師に問われているのかも知れません。
専門だからこそ豊富な知識を持ち、他の誰も知らないような「ズレ」を生じさせるような事実をたくさん持っているはずなのです。それらを駆使すること、さらに新しい情報を入手して知識の組み替えを自分の中で行うことを楽しめる先生であれば、そのようなことは決して難しくないと思えるのですがいかがでしょうか。
私たち教師は、子どもとのかかわりのなかで新しい自分を見つけ、変わりつつある自分に気づきながら成長し続けています。
一方子どもたちも、かけがえのない自分を学校や家庭での生活を通して発見し、自分なりの成長を遂げていきます。どちらにしても今まで見過ごしていた「自分」、新しい力の広がりを獲得した「自分」、昨日とは変わった心を持った「自分」などに気づき、気づくことで「より自分らしい自分になろう」「他の人とは違う自分になろう」という心の動きを持ち、そのことを支えに成長し続ける、という意味で『終わることのない自分探しの旅』を続けているということができるでしょう。
ですから、私たちの務めは、子どもたちが「自己発見の過程を積み重ねて日々新たな自分を育てること(=自分流)」を築いていけるように促し、援助し支えてやることやそのことへの自信や勇気が持てるようにしてやることだと言えるでしょう。
新しい教育は、そのような「一人一人のよさ」への気づきを基盤とした「生きる力」の育ちを核として語られます。
自分には良い点ばかりでなく悪い点も多くあるが、それでもトータルとしては十分存在価値があり、かつ、毎日少しずつであるが進歩しているし進歩しようとしている、と自信を持って語れる子どもに育てたいと思うのです。
そこでは、他の誰かと比べて「どれだけよいか」「どれだけ劣っているか」という外的な測定や比較では見いだせない、その子の内面で起こっていることを認め、受容し、励ますことによる「自信や勇気の獲得」が大切になるはずです。
他の誰かと比較され、「もっとがんばれ」と言われたところで「意志や意欲」がわき起こるとは考えにくく、むしろそのプレッシャーのためにすくんでしまったり気持ちが前向きになれなかったり、もっとひどい場合には「自分には関係のないこと」と放棄してしまうことも考えられます。
ですから、何よりも「自分が自分であってよかった」と自信を感じることができるような大人のまなざしや言葉かけが必要だと言えますが、そのような安心感を持ってもらうためには、誰かと比べて「あなたは○○だ」というその子への見方はどうしても避けなければならないでしょう。たとえ、それが「良い評価」であっても、比べられているということからくる「危うさ」(=いつ立場が逆転するかわからない)を常に感じながら生きていく子どもを育てることにつながってしまう危険性をはらんでいるからです。
そのような他からの評価を気にせずに、「自立し独自の道を確かな足どりで自信をもって歩んでいける人間」を育てることが大切だという主張もありますが、そのような人間を育てるためにも「肯定的に自己受容・自己認識」できる子どものころからの育ちがどうしても欠かせません。
産経新聞のデータベースにアクセスしたところ、次のような記事を目にしました。
今回の話題と関連が深いと思われますので掲載しておきます。
中学生家庭内“孤独” 親の過剰な期待が重荷に 東京・練馬区の中学で調査
96.12.11 朝刊 22頁箱もの (全767字)
都内の中学生の2割は、親から愛されていないと感じ、半数の生徒が家族の役に
たっていないと思っている。こんな結果が、練馬区の中学校養護教諭10人の行っ
たアンケートで明らかになった。
学校の調査で、生徒に「親から愛されているか」を質問したのは初めて。
調査したのは、練馬区立光が丘第三中学校の根本節子教諭(48)ら。
根本教諭は、「教室ではニコニコして学校生活を送っている生徒たちが、(授業
を抜け出して)保健室に来るケースが多い。ここでは、わがままでやる気のない
姿を見せる。原因は、自己有用感の欠如ではないか」と考え、昨年11月から12月
にかけ、区内9中学校の3,700人を対象に調査を実施した。
その結果、「親に愛されていると思うか」との質問には、男子の22.8%、女子の
12.7%が、「そう思わない」「どちらかというとそう思わない」に○を付けた。
「自分は家族の大切な一員か」には、男子21.4%、女子17%が、「家族の役にたっ
ているか」との質問には、男子47%、女子42.3%がそれぞれ否定の答えを選んだ。
根本教諭は「こんなに高い数字が出て驚いた。周りから過剰な期待をかけられ、
できなかったために自信をなくし、無力感にとらわれている生徒がいるようだ。
家庭の中で母親は子供を大切に育てているつもりだが、逆に親子間では障壁を生
んでいるのではないか」と分析している。
その上で、「教師や親は本当の子供たちの心の中を理解することが必要」と、保
健室の養護教諭だけでなく、担任の教師や親が子供たちの心の問題と積極的に取
り組む必要性を指摘。「養護教諭の必修科目に、保健室にくる子供たちに対応す
るカリキュラムが必要」と提案している。
調査結果は11日午後1時から練馬文化センターで開かれる区学校保健大会で発表
される。
産業経済新聞社
「どうせぼくなんか」という無力感に陥ってしまうことを避け、自信と勇気を持ってもらうためには、私たち大人の「肯定的な寄り添いの姿勢」がどうしても欠かせないのだなと思わざるを得ません。
1996年がもうすぐ終わります。先生方にとって良い一年だったでしょうか。来年もすばらしい一年になりますようお祈りしつつ、'96最終号のペンを置きます。
数学者の秋山仁先生の著書の中には、「そうだなあ」と実感できる言葉がいくつもあります。
その中から二つだけ紹介しましょう。
・日本は研究の場でも教育の場においても問題を解く能力のみを重要視し、
科学の出発点である「不思議を感じ取る感性」の意義が軽視されている。
・百の言葉を述べるより、一つの不思議を彼らの心に植え付けることのほう
がはるかに重要なのだ。 (『秋山仁の数学渡世」)
私も、全くそのとおりだと思います。「不思議を感じ取る感性」を大事にして、「一つの不思議」を子どもの心に植えつけていく。私たちが授業の中でし続けなければならないのは、このことでしょう。
目にするもの、耳にするものの一つ一つに心をふるわせ「なぜだろう」と思いをふくらませる。そういう子どもを育てていくことなのだと思われるのです。
さまぎまな「不思議」をいつも追いかけ、その謎ときに心をわくわくさせている人がいて、そばにいるといつの間にか自分までが楽しくなってくる。そんな人がいます。それは、本当に不思議なことだと思うのですが…。
ちょっと古い話で恐縮ですが、心理学者の河合隼雄氏が1995年元旦の朝日新聞で、「謎とき大好き」というエッセーを書いています。
その中で、河合氏は次のように述べています。
人間にとって『わかる』『納得がいく』ということは大切だ。
わけのわからないことや納得のいかないことがあると不安に
なって腹が立つ。
『納得いくように説明してくれ』と怒鳴りこんだりする。
ところが、人間はぜいたくにできている。
すべてのことがわかると面白くない。退屈してくる。何かわけ
のわからぬことや不思議なことがあると、それを解明するのに
挑戦したくなる。そこに期待や希望などが生まれ、心が揺れる。
そして、謎がとけたとなると一層うれしい。
何か新しい世界が開けたと感じる。
謎がとけてしまってなくなると困るのだが、自然の方も心得て
いて、つぎつぎと謎を提出してくれる。
人間の学びの心の動きを何と的確に言いあてているのではないでしょうか。
河合先生自身がそういう学びをつづけてきているから、手にとるように分かるのでしょう。 秋山仁先生も、そのような生き方をしている一人なのだろうと思います。
時代がどのように変わろうと教育内容がどう変わろうと、学校で主要な課題となるのは、いつでも「主体性を育てること」でしょう。それは言葉を変えれば進んで取り組もうとする意欲が持てるようにすること、平たく言えば「やる気にさせること」でしょう。
「意欲」については、次のような類別ができると考えています。
ア、状況こだわり型の意欲
イ、内容こだわり型の意欲
ウ、自己こだわり型の意欲
明日は単位がとれるかどうかの瀬戸際の口頭試問があるので、うまく答えられるように質問を想定した準備を手抜かりなくやっておこう。だから、今日は好きなパチンコはせずに勉強するぞというのは、「テスト」という状況によって生じた意欲ということができます。
それを「状況こだわり型」の意欲としてみました。
ここでは、外的な力がその「やる気」を生じさせているわけで、その外的な圧力が無くなれば意欲も自ずと消滅してしまいがちです。テストが終わった途端に意欲だけでなく、学習した内容までわすれてしまうことも屡々です。
育て方次第で進化が変わるポケット・モンスターに興味を持ってキャラクター・グッズを集めたり、150種類もあるポケモンの名前を覚えたりするというのは、内容そのものにこだわっているという意味で、「内容こだわり型」の意欲と言うことができるでしょう。
何かあることのためにそうするというのではなく、そのものに心を惹かれたり、そのことが好きで無我夢中でやってしまうというものを指しています。
幼児がカタコトでお話をしたりあいさつができたりして誉められ、次には誉められることがうれしくてもっとたくさんお話をしようとしたり言葉を覚えようとするのは、「誉めてもらえる自分」に着目しているわけですから「自己こだわり型」と呼べるでしょう。
テストで「良い点が取れる自分」、みんなに「認めてもらえる自分」を確認したいがためにがんばろうとするのは、そのような自己こだわり型の意欲と言えるでしょう。
さて、そこで私たちが本来「やる気=意欲」と呼ぶべきなのはどれだろうか、ということが問題になりますが、それは内発的なそれという意味で、「内容こだわり型」であると言えるでしょう。
子どもたちが内容にこだわって意欲が持てるようにするために、いろいろと思い悩んだり苦しんだりしている私たちですが、そのためには「ここ大事。テストに出るからね。」では本当の意欲づけにはなりそうもありません。あるいは、何か言い方を変えて「やる気を出そうね。」「やる気を持ちなさい。」という意味のことを言ってみたところで内発的な動機となるような意欲づけにはなりそうもありません。
ポケモンの例を見ても明らかなように、内容そのものにその子なりのこだわりが持てなければ状況が変わっても意欲を持ち続けられるような、そして大人も顔負けの成果を上げられるような「やる気」を引き出せないようです。
おもしろおかしく子どもの興味を引くような話をしたり、逆に「できなきゃ○○。」などと脅しをかけてやる気になったとしても、それは本来の意欲ではないし、そのような小手先の「ワザ」いわゆる「指導技術」と呼ばれるものでは「やる気になってはもらえない」のではないかと思っています。
残念ながら多くの「指導力のある先生」は、そのような「ワザ」を磨くことが大事だと思っておられるようですし、それが研究だと思ってもいるようでもあります。
技術ではなくどのような「内容」の学習を仕組むか、「知りたくなる」「身につけたくなる」ように学習内容や学習過程を工夫することが本当の意欲づけには必要なのです。
それは「ワザ」がなくてもできること。
うまい話術がなくてもできること。
美女でなくてもハンサムでなくてもできること。
ちょっと頭を使うことだけが必要かな?
自分がやる気を出すことは簡単ですが、子どもにやる気になって「もらう」ことが必要なのですから、ワザに頼らない工夫をしていきたいところです。
私が大学を卒業して初めて赴任した竜ヶ崎小学校の教務の先生は口癖のように、小手先のワザにとらわれるなと話されていました。言おうとするところは、何年か教師をしていればイヤでも指導技術は身に付く。しかし、学習指導に対する基本的な考えや姿勢は、研修と研究によってしか身に付かないものだ。多少指導の仕方にまずさはあってもしっかりした基本的な考えに支えられた学習の構想は、そのようなワザも及ばない力を発揮するものだというものでした。
そう言われてからもう25年。
学校の抱えている事情は、その一事を見ても大きくは変わっていないなというのが実感ですが、変えて行かなければならないという思いが日増しに強くなってきたこの頃です。
県南教育事務所の計画訪問、秋の運動会と矢継ぎ早の行事で先生方は大変お疲れのことだろうと思います。ご苦労様でした。天候が心配された運動会も、途中雨に降られたとは言え、無事楽しい盛り上がりの中で終えることができ、ホっと一息というところですね。
運動会にしろこれから控えている市の音楽会にしろ、このような行事を通して何を求めているかと言えば、それは「楽しく有意味な体験」としての活動を子どもたちに持たせたいということなのではないでしょうか。
そのような「楽しく有意味な体験」というのは、「〜のための体験」「体験して〜する」といった手段としての体験ではなく、「今・ここ」での活動を味わい・楽しむということだろうと思っています。
運動会で大玉ころがしをするということは、その後にくる何かもっと大きな事態に対処するための準備としてするのではなく、大玉ころがしをして友達と協力してボールを運んだり他の友達と競ったりすること、そのもので完結が目指されるべきなのです。
つまり、子どもが経験することそのことをゆっくりじっくり「賞味」し「意味づけ」「妙味を味わう」ことができるようにすることが大切なのです。
私たちは、なぜか将来起こる可能性のある事態に備えて、「これは将来必要なことだからしっかりやってマスターしておこう」という気持ちがあれば、よりよく学ぶであろうという古い学習観にとらわれがちです。つまり何事かをなすための準備や手段として、今ここでの学習が必要だし大切だという「手段としての学習(体験)」観です。
「春の小川」を無心で精一杯歌い、表現する活動は、それそのものが大切なのであって、将来もっと難しい曲に挑戦するための準備ではないのです。「春の小川」を歌うことは、そのことで完結されるべきものであって、「みんなと声を合わせて歌えた」「元気に明るい声で表現できた」「はずんだ気持ちで歌えた」「歌ってよかった」「楽しかった」ということを体験すること、そのことが目的なのです。
吉川団十郎という20数年前に活動したフォーク・ソングの歌手がいます。歌手としての活動はもうすっかりやめて、今は陶芸家として仙台の山奥で制作にいそしんでいるそうです。
彼は、仙台のあるデパートで催された「萩の焼き物展」というイベントを見て一念発起。 何とか焼き物をしたくなり、そのデパートの書店に駆け込んで陶芸のハウツーものの本を3冊ばかり買い揃え、自宅に帰るなり窯をつくり、買ってきた本と首っ引きで何とか焼き物をこしらえたのを皮切りに、今や個展を開くほどの腕前だそうです。
彼が言うには、「私の先生はその3冊の本だけです。もともと師匠につく気はありませんで
した。師匠になぞついて『こんなものをつくりたい』などと言おうものなら『十年早い』と言われてしまうことは目に見えていましたから…。」
つまり、陶芸で師匠について思うような作品をつくるためには、さまざまな準備としてのおけいこが必要で、粘土をこねたり習作として何か意に添わないものをつくったりしなければならず、そのために数年を費やさなければならないであろうことが予想されたというのです。「私にはそんな時間の余裕はないし、その意味で師匠につくことは(自分のしたいことに)支障がある」と判断したのだそうです。
例えば、彼は「大きな絵皿をつくりたい」と思っていたのだそうですが、師匠にそのことを話せば「それはまだまだ先のこと。まずは茶碗をつくりなさい」などと言われるのがオチだろうと予測したのだと言います。
どうやら日本の伝統的な教育(おけいこ)は、当人のしたいこと(夢や願い)とは無関係な「あることを実現するための手段としての修業」が重視され、そのあまり修業そのものが目的にすりかわってしまったような感さえあります。そしてどうやら一生を修業で過ごしてしまうことさえあったようにも思われるのです。
「今の学校では、そのようなことはない。」と言い切れるでしょうか。
「今はこのことが大事だと君たちにはわからないだろうが、この後にする学習が成功するために、このことはとても大切なことだからとにかくしっかり覚えておきなさい。」といった意味のことが授業の中で話されてはいないでしょうか。あるいは「将来このことは君たちが生活を営んでいく上で非常に大切なことだけど、今はそのわけがわからないだろうが、よく覚えておくんだよ。」といった内容が語られてはいないでしょうか。
これでは困るのです。
子どもにとって(大人にとっても)「手段としての経験」を強要されても、学習者本人がそのことに「夢や希望、期待」を持つことができたり、その活動そのものに楽しみが感じられなければ学習の成立は期待できないのです。
読書の愉しみは、将来何かの役に立てるため、教養を高めるため、知識を増やすために本に触れることにあるのではなく、物語のおもしろさにひきつけられたり描かれたものごとの不思議さに引き寄せられたりして没頭してしまう「今」を感じることにあるはずです。
食事だって、「栄養」を考え「健康」に気遣って食べるから成長に資するような楽しい食事になるのではなく、その時々においしいと思うものをどんどん食べ、舌を楽しませ消化することが楽しいからこそ、本来の栄養になるはずなのです。
読んでみたくてたまらない本についつい手が伸びる、おいしそうな食事についつい手が出る、それは決して「手段」ではなく「目的」であるからこそ「楽しい」し意味のある体験としてその人の中に「蓄積」「濾過」「選択」されて「生きていく知恵を生む力」となっていくのだと思われるのです。
今触れているそのことが目的として意識できるような毎日の活動を仕組んでいくことも、これからの学校で必要なのではないでしょうか。
ある人から数学者の秋山 仁先生の小さい頃の話を聞きました。とてもおもしろい話なのでご紹介します。
小さい頃から私たち凡人とは異なるレベルの変わったものの見方・考え方をしていた秋山先生。
どうやら小学校の先生から「知能が低い」と判断されてしまったそうです。困り果てたお母さんが、秋山先生をつれて
カウンセラーを訪ねたそうです。そこで、ある質問をされたそうですが、うまく答えられずに「知恵遅れ」と診断されてしま
った帰り道、電車の中でお母さんは「お母さんがついているから、二人でがんばって生きていこうね」と秋山先生を抱き
しめてつぶやいたそうです。
しかし、後年世界的な大数学者となった秋山先生は、「あの時は、自分なりに一生懸命考えて答えを出したつもりな
んだけど…。」と述懐されていたそうです。
その時にカウンセラーが幼い秋山先生に出した問題とは、コップを手渡し、「このコップの中に水を入れてごらん」という
ものだったらしい。
それに対して、じっと考え込んでいた秋山先生は、コップを高く持ち上げて床に叩きつけ、割ってしまったのだそうです。
私たち凡人は、「コップの中に水を入れろ」と言われれば、何の疑いもなくコップに水を注ぎ入れることでしょう。
しかし、それは「コップの中に」入れているのではなく、あくまでも「開いた空間」に入れているだけなのです。
秋山先生は、幼な心に「コップの中に入れるためには、つまりガラスの中に入れるためには割らなければ入れられない」
と判断し、思い切ってコップを割ることにしたのだと言うのです。
大人が、もう誰にもわかりきったことと確信し、それを前提に尋ねたことであっても、誰にでもその意味が通じているとは言えないという良い例ではないでしょうか。
そして、それ以上に先入主や既成の概念にとらわれた目で子どもを見てはいけないということを示唆してくれる話ではないでしょうか。
その子が見えない所で何を考えているか、どんなものの見方をしているのか、が見える目を持つことが大切だし、安易に診断してはいけないということなのでしょう。
ちょっと他の子と違うものの考え方をするからといって「変わった子」「変な子」という
誤った見方をしてしまうことのないように、たくさんの尺度を持つこと、視点を持つことが大切なのだということを教えてくれているような気がしてならないのです。
別の例になりますが、あるピアノ教室でのできごとです。
とてもよくピアノの弾ける子がいたそうです。
レッスンを迎える前の練習もしっかりやってくるようで、あるレベルまでスラスラと上達し、先生もお母さんも「この調子で練習していけば、この子はどんどんうまくなるだろう」と安心もし期待もしていたそうです。
もうずいぶん上手になったし、サブ教材としていわゆる教則本の教材とは別のポップスをやってみようかと提案した先生は、何の抵抗も心配もなく、むしろ「この子にはちょっと易しすぎるかも知れないけれど、息抜きのごほうびの意味もあるからいいか。」と思っていたそうです。
ところが、翌週レッスンに来たその子は、ピアノに向かっても数小節を弾くのがやっとの状態だったのです。不審に思った先生が「どうしたの?」と尋ねたところ、「だって指の番号が書いてないんだもの」と答えたそうです。教則本の教材には、ご存知のようにどの指で弾くかを指示する指番号が書かれているのですが、そのポップスの楽譜にはそれが書かれていなかったのです。
先生は非常なショックを受けたそうです。その子がそれまで上手にピアノを弾けていたのは、楽譜(音符)を読んでいたからではなく、番号だけを見て弾いていたからだということに気がついたからです。「上手に弾ける」という評価は根底から覆されてしまったのです。
一見「わかった」あるいは「できた」かのように見える子どもの中には、このように違う要因で「できたかのように」見えてしまう子どももいるということに注目したいものです。
傍目には「わかっていない」と見える子が、実は他の子が思いつかない深い考えを持っていたり、逆に「わかって(できて)いる」と見える子が、実はねらい通りの力を身につけていなかったりするということについて認識しているだけでも、一人一人の子どもを見る意識が変わったり、透徹した鋭い洞察の必要性が感じられたりすると思われますが、いかがでしょうか。
第一歩
「新しい道」
「明るい光にみちた道」
「希望にみちた 楽しい出発」
「楽しい出発」
「私たちは その第一歩を踏み出そうとしている」
「さ 自分の進む道を力強く踏み出そう」
「踏み出そう」
(以下略)
この詩は、1947年4月の「新制中学校」発足時に文部省が用意した教科書『中等国語・一』の巻頭に掲げられた「よびかけ」の形による詩で、当時の教科書局スタッフの一人、図書監修官・石森延男氏の作だそうです。
「前進」の内容、演出の工夫を求める「よびかけ」という形式、両者があいまって、敗戦、荒廃の中に、光明を求める心意気や次代を託す子どもたちの成長に期待する思いが伝わってくるようです。
中学生が「力強く踏み出す」決意は、新制中学校が「第一歩」を踏み出す宣言でもあったのでしょう。被占領下、連合軍主導の教育改革でしたが、新制中学校創設はその中心眼目だったようです。
「明るい光りにみちた道」は学習指導要領(試案)の中にも示されていました。
学習指導法の要諦として掲げた「経験学習、問題解決の活動」の奨めです。
「生活に起こるいろいろな問題を適切に解決する、生活を営む力」を養うこと。そのためには「自分で目的を持ち、計画し、自らの力で進め、結果を反省する」というものです。
そして時間割には、週1〜4時間の「自由研究」も設けていました。
当時の文部省担当官、木宮乾峰氏は、自由研究の意義を
個人差を無視した一律指導の弊を改め、他人の模倣にのみ満足しないで、
自己の創意により独立して働き得る自主的な人間を作ることが肝要
時事通信社発行『内外教育』47年7月9日号
と記しています。
教科学習が発展して自由研究の必要を生み、自由研究によって個性、創造的学習が育ち、それがまた教科学習に反映するという図式です。(生活科や総合学習の発想とまったく同じだとお感じになりませんか?)
こうした趣旨を踏まえ、施設・設備、学習の材料もまったく乏しい時代、新しい目標に向かって、「君たちはこれから新しい時代、希望に満ちた社会を生きていけるのだから、主体性をもってがんばれ」ということを日常聞かされて育ったのが私たちの年代でした。
なんだか「ゆとりの中に個性的な学習」を説くことしきりの今の状況ととてもよく似ているような気がします。
しかし、この自由研究は機能し習熱する間もなく、4年後の改訂で特別教育活動に吸収され、姿を消してしまいます。いわゆる「特活」です。
特別活動が定着し始めた頃には、「六・三制 野球ばかりがうまくなり」などという川柳
が流行し、ろくに勉強もせず遊んでばかりいるのではないかという風刺は、学力不足の非難へとエスカレートし、新しい教育の趣旨は生かされないまま詰め込み学習へと後戻りしてしまいます。「強いのは野球ばかりじゃない」と、学習指導に精出す中学校も出てき、地域によっては、高校進学に好成績を示して注目される学校なども出始め、そのために学区を越境して入学を希望する者が集まる傾向を生み、特定高校への進学競争にあおられて激しくなるという状況に立ち至ったのです。(私も越境入学の体験者です。ごめんなさい。)
学力回復を図るあまり、60年代には教育課程もゆとりを失い、画一化を押し進め、高校は「教養の偏りをなくす」ということで卒業に必要な85単位のうち、必修が9割を占めるようになり、それと競うように高校進学率も急増していきます。
それと反比例するかのように、学習内容を修得できるのが、小学校で7割、中学校で5割、高校で3割の「七五三教育」などというざれ言も言われはじめ、教育課程と学習状況に深刻な課題を投げかけるものとなりました。
この間、高校全入のかけ声も盛んになりました。合格率は95%以上で推移しますが、問題は、特定高校を目指す競争にあったようで、入れる高校の選択、あるいは振り分け、つまるところ偏差値問題がその元凶として取り上げられたのは記憶に新しいところです。
校内暴力が世間の耳目を集めたのは80年の事件がきっかけ。「乱塾時代」という呼び名の登場もそのころ。いじめ、不登校など、課題は引きも切らず、学校教育はやむなく学校外の学習機会を認知、なしくずしに、その役割の一部をゆだねる仕儀ともなった、というのが戦後の被占領下からこれまでの教育の歩みのようです。
まさに、私自身の受けてきた教育の流れそのもので、動揺した時代に教育を受けると自分のような人間ができあがってしまうのか、という思いもしますが。
閑話休題、その反省から教育改革の必要性が叫ばれ、今その真只中にいる私たちですが、冒頭に掲げた石森先生の詩の精神が生かされないまま教育の荒廃を招いてしまった歴史の撤を踏まないようにすることが何よりも大事なのではないか、そのためにも教育改革の理念を一人一人が確かに自分のものとすることが大事なのではないか、と思われてなりません。
遅ればせながら、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。 今年は「トラ年」。ものごとにトラわれることなく、世の中の動きに遅れをトラないように、かつ「そんなこともう知っトラー」などと慢心することもなく、確かな歩みで虎視眈々と(あまり良いイメージではないですね)着実に幸せな一年をつくりあげていきたいものですね。
ところで、私は今インターネットのホーム・ページづくりに挑戦しています。
50才を過ぎると脳細胞がなかなか新しいことのインプットに応えられなくなるのでしょうか、参考書を読んでも思うように理解できず遅々として進みません。動きの鈍った頭脳をもてあましています。本当に困ったものです。(^^;)
まったく受け付けなくなってしまう前に、何とかものにしたいものです。
それにしても、インターネットでは多くの人がホーム・ページを設けていますが、私の知っている教科書会社の社員も仕事とはまったく関係のない「日本蕎麦の研究」や「宮沢賢治の研究」の成果をホーム・ページ上で公開しています。
普段の彼の風貌からは予想できないような内容で、「へー、そんなことを調べてたの?」という思いがけない一面を見ることができました。
以前は、自分の考えや発見を公表するには論文を作成するとか書籍に著し、それを公開する必要があったのですが、今や電子の情報として不特定多数の人々に向けて、しかも全世界に向けて発信することがいとも簡単にできるようになったのです。
本を一冊つくる、というのは経費の面でも手間の面でも大変なものがありますが、電子の情報であれば通信費とワープロを打つ手間だけで多くの人に読んでもらえるわけですから、こんなに多くの人々がホーム・ページを設けたがる理由がよくわかります。
どうも人間は、役立つ情報を受信することだけでは満足できないのかも知れません。
「こんなことを見つけたよ」「こんなことがわかったよ」「こんなことができたよ」、だから「見てよ」「聞いてよ」というように外に向けて発信したがるもののようです。どこかのおせっかいなお婆さんよろしく、黙っていられないからというわけではなく、発信することで「自分はここにいる」ということを確認したり「社会に貢献できる自分」を見出したりすることを根元的な欲求として持っているということなのでしょう。
件の彼も、ホーム・ページを持ち、その中で自分がこだわっていることの調査結果を公開することで、一介の会社員ではない本来の自分、普段は表に表せないもう一人の自分をそれとなく公表することで自分を確認しているのでしょう。
それはともかく、自分のホーム・ページをつくるとなると、「どんな情報を載せようか」「どんな形で載せようか」「喜んで見てもらえるにはどんな表題にしょうか」「背景の色や文字の配置はどうしようか」などと次々に工夫したいことが出てきて、何度も何度も手を加えたり修正したりしたくなってしまいます。そんなわけで、なかなか完成しないのですが、どうやら「(自分に深くかかわって)発信したり伝達したりするために『つくる』」という行為は、そのような「問い」を自然に生んでしまうのではないか、と思われてなりません。 ですから3年生が国語の授業でつくった「解説書」も、実は解説書をつくることに意味があるのではなく、解説書をつくる過程で生じるそのような「問い」をもとに、どうしたら自分の言いたいことがうまく表現できるか、読者にうまく伝わるようなものになるかを関心の柱として、文章のつくりや図の配置、文章のなかみや字の大きさなどについて全体の構成を工夫したくなることに意味があるのでしょう。
さらに付随的なことがらとして、用字の正しさや美しさなどについても必要感を感じながら「学び取っていく」のだろうと思われます。
単なる文章づくりといった「作文の作業」ではこうはいかないでしょう。
まず、何を書こうかといった主題で戸惑う子どもが多いのではないかと思われますが、ここでは『解説書をつくろう』と言われた時点でもう既に、「自分のよく知っていること」「みんなに教えてあげたいこと」が頭に思い浮かびますから、その中から自分の一番の関心事、文章で伝えられそうなこと、マニュアル化できそうなこと、といった視点で子どもは進んで選び取っていくはずです。
さらに、よりよく伝えるために、自分の頭の中でもまだあいまいな部分をそのままにしておいては説得力に欠けるということも自然にわかっていますから、もっと詳しく知ろうとして「探索活動・調査活動」も自らの手で開始することも期待できます。
そのように書かせられる「作文」からは得られない多くのことがらを、子ども自身の必要に迫られた行為の中で学び取っていけるのではないかと思われますが、そのような学習を私は「機能的な学習」と呼んでいます。
社会科でよく展開される「歴史新聞づくり」、生活科などの「生活マップづくり」などもそのような機能的な学習の具体的な姿だと思っていますが、さらに深まりや高まりをうながすためには、「自分は(自分たちは)情報を発信しているのだ」という自覚を子どもたちが持っていることが必要でしょう。
書いてしまえばそれで「終わり」なのではなく、書くのは「誰かに伝えたいからだ」ということを意識することがなければ、「これで良いか?」という自然な「問い」が生じにくいしうまく働かないと思われるからです。
ずいぶんと前から「情報リテラシー」ということが言われ、教育の各段階でコンピュータを活用した情報教育の必要性が叫ばれていますが、その根っこは情報を収集、操作することだけではなく、情報を「発信する」ことに向けた活動の中でこそ培われるものだということを認識しておく必要がありそうです。
自分に深くかかわった何ごとかを「発信」する行為の中では、学習の本質とでも表現できそうな「調べる・探る・見つける・考える・工夫する・つくりあげる・広げる」などの活動が「問い」を核として無理なく展開できるし、それはまた今求められている情報教育の核心にも触れる大切なことがらであると言うことができそうです。
そのような学習を一つでも二つでも経験した子とそうでない子、つまり知識を「覚える」対象としてしか自覚していない子では、生きていく上で大きな違いが出てきそうだとは思われませんか?
今、茨城県が注目されています。どういうわけかテレビでも茨城県のコマーシャルをしていますし、何と言ってもNHKの大河ドラマが最後の将軍「徳川慶喜」であることが大いに影響しているのでしょう。
尊皇攘夷の総本山である水戸徳川家の慶喜が一橋家の養子となり、ついには15代将軍となりながら徳川幕府の幕をおろす役割を担うことになる、というのは芝居以上のドラマを感じさせます。
ところで、水戸では黄門様は別として慶喜よりも烈公「斉昭」の方が人気があるようです。 黒船の来航に先だつこと10数年前から、光圀以来の水戸学を引き継ぐ尊皇攘夷の思想的旗頭として多くの学者を登用し弘道館を建てて「天下の魁」たらんとする水戸の精神を伝えたり、海防の施設や新しい武器の考案をしたりして、具体的な方向を示し全国的な支持を得たことによるのでしょう。当時は烈公の出馬なくしては、危機を乗り越えることはできないと列藩から期待をかけられたと言います。「尊皇攘夷」は、当時の金科玉条でまさに日本を守り抜くキーワードだったのです。今の教育界で言えば、「生きる力」の前では、ハハーッ
とひれ伏してしまうしかないような錦の御旗だったようです。
その旗頭として力強い動きを実際に見せつけたわけですから、水戸のご老公に頼れば何とかなると期待をかけたのも当然かも知れません。
かの吉田松陰もはるばる長州から斉昭、東湖、正志斎に会うべく水戸を訪ねてきたといいます。私の父の母方の実家(水戸市吉田)には、その当時の記録が残っています。
もっとも斉昭の動きは幕末の大変動の導火線に火をつけただけで、実際の革命は西国の雄藩に主導権を握られてしまい、ついにはヒステリックな天狗党の乱に見るような今から見ればわけのわからない動きを生ぜしめただけのものだったかのかも知れませんが…。
それはともかく、斉昭の記した「弘道館記」には次のような一文があります。
「藝に游ぶ(げいにあそぶ)」
弘道館に学んだ若い藩士やその子弟に示そうとしたその言葉は、今でも水戸市内のあちこちの学校で語り継がれています。
「藝(芸)」とは、単に芸術や芸能を指すのではなく、武術や体術など広く技芸一般を、そして学問までをも含んだ概念として表しているそうです。
また「游ぶ」は「遊ぶ」の意です。
つまり、遊ぶようにして藝に触れ、没頭すること、取り組むことの大切さを説いているのですが、もともと「遊び」はそれそのものが目的で、何か他のことの手段として目的を持って「する」こととは意味が異なります。
そのような夢中になれる遊びとして藝をとらえ、楽しめる場として弘道館をつくったのだということが述べられているのです。
どうやら私たち大人は、心のどこかで「勉強はつらいもの、苦しいもの」ではあるけれども社会の一員として生きていく上で欠かせないものだから、それを乗り越えて頑張ることや励むことが大切なのだ、と思っているようです。
つらいこと、苦しいことにぶつかった時にそれを克服していく力を身につけることは、生きていく上で大切なことに違いはありませんが、「勉強はつらいもの」と決めつけてしまうことはいかがなものでしょうか。
もともと人間は、好奇心のかたまりのような存在ですから、自分の世界や力の広がりを感じたり味わったりするのが好きで、そのために調べたり探ったりつくったりすることで安心感を得たり感動を味わったりすることのできる動物なのです。
ですから知的な探検をして新しい知識を得るとか、役立つワザを身につけるといった意味での勉強は「つらく苦しい」ものではないはずなのですが、そう思ってしまう裏には「関心のないこと、自分にとって意味があるのかないのかわからないこと」でも「覚え」なければならず、そのことが勉強であるという意識があるのかも知れません。
おそらく、そのようなことでも何とかして楽しく覚えられるようにということなのでしょうか、口当たりをよくしようとさまざまに工夫を凝らした授業があちらこちらで見受けられるようになりました。
実際、子どもたちは一見楽しそうに学習を展開しています。
しかし、と私は思うのです。
それは「にがいクスリに砂糖をまぶして飲ませているだけ」なのではないかと。
本来、調べたり探ったりつくったり表現したりすることは「楽しい」ものなのだととらえていれば、砂糖をまぶす必要などないはずなのです。
それを「苦しいこと、つらいこと」つまり「楽しくないこと」ととらえているからこそ、口当たりを良くする方向にばかり流れてしまうのだと思われるのです。
勉強が楽しいと思っている大人は、別の観点で工夫をするはずです。
つまり、この楽しさを何とかわかってもらえるように努力したいという観点からです。
そう考えてみると「勉強(ごく一般的に言われている『学習』と言い換えても良いでしょうが)」を大人である私たちがとらえ直す必要があると思われます。
すなわち、仕方なくイヤイヤ覚える対象として学習内容をとらえるのではなく、「関心のあること、追究の対象としておもしろいもの」と見るとらえ直しです。
目先の学習の仕方ばかりではなく、学習の内容そのものが興味深いもの、自分にとって意味のあるものだと思えるように工夫して構成し直すこともその一つでしょう。
また、大人自身が「知の世界を冒険すること」「チャレンジしトライすること」を楽しむ姿を見せること、そしてそのことによって子どもたちをその楽しい世界に誘うこともそれ以上に大切なことでしょう。
つまり「藝に游ぶ」姿をもって「学習」に導くことが、私たち大人の役割だと思うのです。 大河ドラマを見、私の中にある斉昭のイメージとちょっと違う菅原文太演じる斉昭を見ながらこんなことを考えました。