チャルダッシュに挑戦
 フィギュアスケート・グランプリシリーズ第6戦となる日本大会で、浅田真央選手が優勝した。フリーの演技で用いた曲はモンティの「チャルダッシュ」だった。
 ハンガリーの民族舞曲を素材とした曲である。私も含めて日本人は、こうしたジプシー(これは差別用語なのだそうだ。正しくはロマ)の伝統的な音楽にとても惹かれる。
 かつての女学生が好んで合唱した「流浪の民(シューマン)」も、小学校で鑑賞した「ハンガリー舞曲(ブラームス)」も「ハンガリー狂詩曲(リスト)」も、ジプシーの音楽を素材としている。

 哀愁を帯びたメロディー、変幻自在にテンポを変えてくるくると表情が変わる即興的な演奏、ついつい手拍子を打って身体を動かしたくなるような素朴なリズムなど、どれをとっても日本人の好みそのものだ。
 ジプシーについては諸説さまざまだが、ジプシーという呼び名は、「エジプトからやって来た人」という意味の「エジプシャン」の頭音消失したものと言われる。ジプシー民族は11世紀頃に、ジプシー発祥の地とされるインドから旅立ち、トルコ、エジプト、中東からバルカン半島を抜けて西へ西へと進み、ヨーロッパ、果ては北アフリカまで、何世紀にもわたり苦難の歴史を歩み続けたと言われている。そんなところからエジプトからやって来た人、という理解が生まれたのだろうか。

 この流浪の民は言葉はあるが文字をもたなかった人々のようだ。そこで、その旅の記憶、民族の歴史を歌や踊りに託すことで後世に伝承した、とも言われている。
 また、旅の途上で土地の文化と出会い、互いに影響を与え合い、また新たな音楽を生むという長い旅の記憶が、彼らの音楽の多面性となっているようである。
 ジプシーの音楽は、多くのクラシックの作曲家に影響を与えもしたし、先に見たようにその出会いから多くの名曲、親しまれる曲が生まれている。
 クラッシックばかりではない。スペインのフラメンコを生み出したのも彼らの音楽だと言われている。

 ここまで書いて思い出した。高校生の頃に読んだ芥川也寸志の著書(「私の音楽談義」だったであろうか)にジプシーの少年の話が書かれていた。話の趣旨は音楽をする上で「読譜」の能力は不可欠ではないだろう、ということだったのだが、その好い例にバイオリンを巧みに弾きこなす幼いジプシー少年のことが書かれていたのだ。
 楽譜の読めないその少年に、あるフレーズを弾いて聴かせると、一度聴いただけでこともなげにバイオリンで演奏してしまうというのである。ジプシーがどれだけ音楽を自家薬籠中のものとしていたか、そして読譜などできなくても音楽をする上で何の支障もない、ということを論じていたように記憶している。音楽を生活そのものとしているジプシーとは何とすごいものか、と高校生だった私はすこぶる感動したことを覚えている。

 さて、モンティの「チャルダッシュ」のことである。以前は音楽コンクールその他で小学校の児童がよく演奏していた。
 昔はリード合奏が主体だったので、アコーディオンや鍵盤ハーモニカなどでこの曲を演奏していたはず。速いパッセージも見事に弾きこなしている学校や郷愁に満ちたAndanteの部分も楽器がよく歌っている学校が多かったように記憶している。小学生でもこの曲を理解し、歌うことができたということなのだろう。
 以前からこの曲をDTMで入力してみたいと思っていたのだが、なかなか踏み切れなかった。
 大きくゆらぎ変化するテンポやダイナミックス、アーティキュレーションなどをDTMでどこまで入力可能か不安だったからである。しかし、時間がかかっても挑戦してみない手はない、と一大決心をした。
 いずれこのサイトで公開できるよう(失敗作でも)、挑戦を始めたところである。

 編曲が一応完成した。→こちらでお聴き頂けます。


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