題          材   『ステンドグラスを音で飾ろう』
目          標 さまざまな響きの音を組み合わせて,楽しい海の国を音で表現する活動を通し,創造的な表現の能力を伸ばす。
お互いに聴き合いながら表現する活動を通して,心を合わせて演奏しようとする態度を養う。
教 材 の 組 み
立 て に 見 る
題 材 の 構 成
  中高学年の校舎一階の中央にあるステンドグラスは,大いちょう・小鳥の森とともに本校のシンボルの一つであり,子どもたちは毎日のようにステンドグラスのかもし出すやわらかな神秘的な光の中で生活している。
  このステンドグラスに音をつけてみたい,あの空間に音楽が流れていたらいいなあという子どもたちの夢をふくらませ,現実のものにしていく活動の中で,創造的な音楽づくりの力が育てられるであろうと考え,この題材を設定してみた。
  自分たちが興味を持つ音を素材に現代音楽や環境音楽の手法を借りて,「音」そのものに直接触れ,自由に組み合わせたり,絡み合わせたりする活動をしながら,創作した曲をステンドグラスの前で演奏し,学校中の友達に聴いてもらおうという働きかけで,子どもたちの音に対する感性を磨 いていきたいと考えているのである。
  そこで,予めシンセサイザーに32ヶの音色をプリセットしておき,その中から自分たちの音楽表現に必要な音を選び出し,それらの音を素材にどう組み合わせ,時間の流れの中でどのように編んでいけば良いかの工夫をさせ,自分たちのイメージに合う「音のオブジェ」を練り上げ完成させる場 を子ども達にあずけ,ねらいに到達できるよう仕組んでみた。
  ステンドグラスに描かれた「海の国」「魚たちの国」を幻想的に表現させたいと考えているが,プリセット音の中には現実には無い音を数多くインプットしておき,音色や音形などからも曲のイメージをつくりあげ易くし,又固定音(どの位置の鍵盤を押しても音程がかわらない)も幾つか用意するこ とで技術的な抵抗がなく1本指だけでも音楽に参加できるよう配慮した。
  さらに創作から偶然性を排除し,試行錯誤しながら安定した姿での演奏をめざさせる為に少人数のグループによる創作とし,自分たちなりの楽譜(図形譜など)を工夫させることで何度でも同じ形の演奏が出来るようにした。
  たった一つの音でも,発音のタイミングや音量,長さなどを誤まれば,全体のイメージを損うことに気づき,緊張感のある演奏に仕上げていく過程の中でのディスカッションや共同作業の中で協力し合って演奏を創り上げようとする態度の育つことを願っている。
 学習の計画は、次のようである。
(音調べ) (創 作) (練習) (録音)
「ステンドグラ スを音で飾ろう」
(曲の構想) (発表)

「ステンドグラスを音で飾ろう」について
 この実践事例は、昭和60年のものである。
 茨城大学教育学部附属小学校では、それまでに昭和57年度から3カ年の計画で「学習の成立を考える」という研究主題のもとに、 
第1年次は「見方・考え方・取り組み方の吟味」に視点をあて、「子どもの認識に根ざした授業のあり方」の見直しと、低学年における 「総合学習」を構想し、第2年次は「子どもにあずけられる授業」に視点をおき、子ども自身が学習の見通しをもって取り組める学習のあり方について研究してきた。第3年次は「子どもにあずけられる授業」をさらに発展させ、その具体的な姿の一つを総合学習に求め実践を積み重ねた。
 そこでは、子どもの発達段階に応じた『地域の特性』を考慮した体験的な学習を通して、究極的には人間としてのあり方や生き方が学べるようにと考え、ヒトや事象とのかかわりを重視した学習の場を工夫してきた。
 そして、この昭和60年度からは、さらに1歩進めて
『総合学習の実践にみる教育課程』に焦点をあて、学校生活のすべてが子どもの育つ場、「生きること」を学ぶ場であると考え、子どもが自分を取り巻く環境に全身で働きかけ働き返される中で、感動や驚きをもって活動し、よりよい理解に至る学習を構想しようとした。
 
音楽科では、その具体的な姿を、子どもたちが『体験し、発見し、工夫しながら学習をつくりあげていく姿』としてとらえ、自分自身が生かせ、つくりあげる必要感や手応えを実感しながら学習に無我夢中で取り組める、取り組みたくなるような学習を構想することが大切であると考えた。
この「ステンドグラスを音で飾ろう」実践は、そのような文脈の中で生まれたものである。
 『附属小学校の新校舎のシンボルとも言えるステンドグラス、夢のような海の国が描かれた低学年児童の手によるステンドグラスを音で飾り、学校中の友達に聞いてもらおうと投げかけることで、音楽づくりへの意欲が生まれ、授業を離れても活動意識が途切れずに問い続けることができ、表現の喜びも味わえるだろうと考えたのである。
そうしてつくられた各グループ・各クラスの音楽は、その後テープに録音し、中間休みや昼休みなどにステンドグラスのコーナーに設置されたテープレコーダーを通して、文字通り環境をつくる音楽として流され、学校中の友達に聞いてもらえたのである。それは、自分たちの学校を自分たちの手でつくり変えていくといった学校生活の主体者としての意識づくりにも役立ったようにも思われる。「教えられ」「組み込まれる」受け身の子どもから、「主体的に」「学校づくりに参画」することのできる自分(自分たち)への気づきと意識の変革にもつなげることができたのではないかと考えているのである。 

 それから十数年経過した現在、総合的な学習の時間への取り組みをどうするかといったことが学校現場の主な話題となっている。教えることや伝えることを核として実践してきたこれまでの学校現場は、『教えられずに学ぶ』時間をどう構想するかといったことに戸惑いと一方では学校が変わることへの期待感をもって、新指導要領の実施時期を迎えようとしている。
 
私は、従来の「教え・伝える」教育のあり方を子どもの「学びを指導する」あり方へと転換する残された有効な道として『総合的な学習の時間』を位置づけたいと考えている。
 従来の知識伝達型の学習ではなく、いわば価値ある活動に参加する学習、自分にとって価値あるものを選んでそこに参画する経験を通して、行動や認識の仕方を変えていく学習にしていくことが大切だと考えているし、そのことによってこそ子ども本来の「学び」が取り戻せると思っているのであり、それは
『総合的な学習の時間』を核にした教育課程をどう編めるかにかかっていると考えているのである
 この実践事例が、真に子どもの音楽性や感性を伸ばし、音楽への愛好心を高めるのにどれだけ貢献できたかは定かではないが、この実践が十数年の時を越えて今もある種の問題提起としての意味やこれからの授業を構想する際の手がかりとしての意味を持つとすれば、私としては嬉しい限りである。