「がんばれない子」を育てないために | ||
〜学習性無力感理論の視点から〜 |
人はふつう、起こった出来事に対して、3つの視点からその原因を説明しようとする。 たとえば、テストの成績のよしあしの原因を「自分の努力」に求める人は、内的な原因帰属で説明しようとする人であると言える。 その説明スタイルを3つの次元で表したのが右図である。 |
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ところで、学習性無力感理論によると、悲観的傾向を呈しやすい人には抑うつの素因があり、重大な失敗や喪失・挫折といった望ましくない出来事に遭遇すると、容易に無力感に陥り、抑うつ症状を示すと言われている。 子どもが失敗や挫折をしたときに、その原因を「内的・全体的・永続的な要因」に求めて説明をしたりすれば、子どもを無気力にしたり無力感を持たせたりするおそれがある。 たとえば、「あなたはいつも失敗ばかりしている」「こんなこともできないようでは、他のこともうまくいくわけがない」「がんばりや努力が足りないから失敗するのだ」などと指摘されれば悲観的な自己認識しかできなくなってしまい、自尊心の低下や意欲の喪失につながることは言うまでもない。 同じ理由で、「いつかできるようになるよ」「がんばればできるよ」という言葉も学習性無力感を引き起こしてしまう危険性をはらんでいることに注意する必要がある。 そうした言葉を投げかける側は、今回の失敗は仕方がないという慰めの気持ちや、次こそはがんばろうという気持ちが持てるようにという応援の意味を込めて言っているつもりである。 しかし、失敗をするたびにこの言葉をかけられる子どもは「いつかって、それはいつなの?」と見通しの持てない不安に追い込まれたり、「何をどうがんばればいいの?」と目的の混乱を起こしてしまうこともあるからだ。 そこで教師の出来ることは、その子が「できそうなこと」を見きわめることだ。 「できそうなこと」「できること」に子どもの意識が向き、そのことで「自信」や次への挑戦に対する勇気など自尊感情を獲得できるよう、指摘・賞賛することが大切になるだろう。 すなわち、子ども自身が効力予期(『ぼくにもできるかも知れない』『できそうだ』)を感じて、意欲(やる気、やれる気)が持てるようにするためには、そうした教師の「まなざし」が重要な意味を持つだろうということである。 |
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