人はなぜ音楽を好むのか
 人はなぜ音楽を好むのであろうか。
 音楽の楽しみ方は、人それぞれに違っていても、そして時代が変わっても、音楽に触れて接することに積極的であることは昔も今も変わらないように見える。いやそればかりかますますその傾向は増大しているように思われる。
 
 電車に乗れば、携帯型の音楽プレーヤーで音楽に聴き入る若者の姿がそこかしこに見えるし、携帯電話も音楽プレーヤーの機能を内蔵したものが人気を集めているというのも、そうした傾向を裏付けているかのようである。
 また、敗戦によって人々が力をなくしているときに、生きる希望と勇気を与えてくれたのは、何よりもラジオ歌謡をはじめとする音楽だったことを考えると、単に「好き」「楽しい」という枠を越えて音楽が人に与える見えない力のようなものを持っているとさえ思わされる。

 なぜ人はそのように音楽を聴いたり歌ったり演奏したりすると「快感」を得て楽しさを感じたり、音楽によって心が和んだり、心が明るくなったりするのだろうか。
 そうした「快の感情」を感じるからこそ、音楽を好むのだといえるであろうが、音楽に接するとなぜそのように「快の感情」を得られるのだろうか。

 快の感情を司るのはやはり脳であるが、次のように言われている。
 脳内の多くの神経の中で、精神系だけを走っているユニークなA10(エイ・テン)と呼ばれている神経があり、それが活性化されると快感を感ずるというのだ。この神経の発見は1964年、それが快感神経と分かったのは1978年のことらしい。
 この神経は脳幹の神経核と呼ばれる場所から出て、視床下部
から大脳に入り、扁桃核や海馬、尾状核 、中隔核などがある大脳辺縁系を経て、前頭連合野と側頭葉へ入り終わっていると言う。
 
 このA10神経が刺激されると快感物質のβエンドルフィンやドーパミンという神経伝達物資が分泌され、それによって快感を生じることがわかっていて、大脳辺縁系で生じる喜怒哀楽などの情動の源がこの神経のようで、これを快感神経または快楽神経とか恍惚神経とか呼んでいると言うのだ。
また、人間精神を知(知能)・情(感情)・意(意欲)に分けると、知能は前頭葉と側頭葉、とくに前頭連合野から、また感情は大脳辺縁系から、そして意欲は視床下部から出てくるというような対応が見られると言われている。 
※視床下部(生命の維持に不可欠な食欲、
      体温調整などの中枢がある)
※扁桃核(警戒・探索に関係して攻撃性を生
     じると言われている)
※海馬(記憶の貯蔵庫と言われる)
※尾状核(態度や表情を生ずる)
※中隔核(行動力発現の脳と言われる)

※前頭連合野(
最も進化した人間精神を生じ
       ると言われる)
※側頭葉(記憶・学習を総合する)
 人間の脳は、上左図に見るように、もっとも奥に原始的な爬虫類も持っている原始脳(爬虫類脳)、さらにそれを囲むように、古い脳(下等哺乳類脳)、そして一番外側に新しい脳(高等哺乳類脳)という三層の構造を持つ。人間が爬虫類から進化し、高い判断力や思考力を身につけるに至った進化と成長の跡である。

 原始脳は、動物の生存の基本的な機能を担当している。たとえば間脳は、漠然とした快感・不快感や恐怖、悲痛感のような未分化の情動を担当していると言われ、いわば生命活動の重要な部分を担っている。
 また古い脳(大脳辺縁系)は、人間が子孫を残して存続してゆく上で極めて重要な働きをしており、生命の大原則にとって好ましいものか好ましくないものかを判断するという機能を持っている。
 好ましいと判断したときには快の情動を発生し、好ましくないと判断したときには不快の情動を発生するというのだ。
 さらにその外側には、ヒトやサルなど、霊長類では特に発達している新哺乳類脳、すなわち大脳新皮質がある。新哺乳類脳では、客観的な分析や抽象化、未来の予測などができ、 感情やコミュニケーション、自己実現など「第三次欲求」と呼ばれる欲求を司る機能を持っている。

 ここで着目したいのは、生命体にとって好ましいものかそうでないかを判断する大脳辺縁系である。
 自分の状態がどうなっているのかの自覚を持ち、情動を表す事を司り、食べる、眠る、異性を求める、などの欲求が満たされない時に感じる怒りや恐れ・不快や不安などや、欲求が満たされた時に感じる快感や喜び、安心感などを支配するのが、この大脳辺縁系なのである。
 しかも、生命体にとって重要な役割をするこの部位には、自覚的意思の力は到達することができない、すなわち意識の下にあるものだと言われており、好ましいものに接したときには意志の力とは無関係に快感を感じるように遺伝的にプログラムされているようなのだ。

 どうやら、音楽に接すると人間の脳は原初的に快を感じるようにプログラムされているようであるし、音楽はA10と呼ばれる神経を刺激し、そこからドーパミンやβエンドルフィンなどの快感物質が分泌されることで喜びや安心感を得られるように仕組まれているらしい。
 そう考えると、音楽を好む傾向(=音楽で快を得る傾向)は、ほとんど本能的なもので、理屈の入り込む隙間がないところから発しているもののようである。

 音楽を聴いたり歌ったりして、昔の記憶を突然取り戻したり、和太鼓の響きを間近で聴いて一時的ではあれ積極性を取り戻したりするといったお年寄りがいることを聞くと、音楽の持つ力、人間のこころの奥底に働きかける音楽の不思議な力を改めて認識させられるが、それも人間の脳(こころ)に組み込まれた本能的な働きに依るものなのであろう。

 

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