童謡【赤い靴】の詩には、実在のモデルがいた

しかも、赤い靴の女の子は外国には行っていなかった


◆女の子のモデルは? 岩崎きみ さん
   
◆異人さんって? メソジスト派のアメリカ人宣教師 ヒュエット氏
   
◆外国に行っていないって? アメリカに渡る前に、病気で死亡したらしい。しかも9歳で。病気は結核性腹膜炎だということ。
   
◆どうして宣教師に? 母親の名前は岩崎 かよ。
かよは静岡県不二見村(現清水市)の出身だそうです。きみはかよの私生児として生まれた、と言います。
かよは若くして北海道に渡り、きみの父親と目される佐野安吉と開拓村への入植を決意したそうですが、
原野を 切り開いての厳しい開拓生活に幼い子どもが耐えられないと判断したかよと安吉は、ヒュエット宣教師にきみを 養女として預けることにしたのだそうです。
その後、ヒュエット宣教師に帰国命令が出されたそうですが、病気に冒されたきみを孤児院に預け、宣教師夫妻だけが帰国したのだそうです。
   
◆孤児院って メソジストの鳥居坂教会内の永坂孤児院(現麻布十番「十番稲荷」の境内)とわかっているようです
   
◆赤い靴の像について そのような関係で、「赤い靴」の女の子の像はあちこちに建っています。

○麻布十番商店街イベント広場に建てられた「きみちゃんの像」
○母親かよの出身地の清水市日本平山頂に建てられた「赤い靴の女の子」母子像
○横浜
   
◆雨情がどうして? 雨情が北海道の新聞社に勤めた折に、かよ夫妻と同じ家に2家族で住んだことがあるようです。
その際に、かよ から「自分にはお腹をいためたもう一人の娘がいた」ということや、その娘を外国人宣教師に養女に出したという 話を聞いた雨情が、その話をもとに「赤い靴」の詩をつくったと言われています。
   
◆5番目の詩があった 雨情の草稿には5番の歌詞も書かれていたそうです(ご子息の野口存彌氏発見)

『生まれた 日本が 恋しくば 青い海 眺めて いるんだろう 異人さんに たのんで 帰って来』


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