平成13年度がスタートしました。
今年度も、この『リサーチ』をできるだけ発行していきたいと思いますので、よろしくお願いします。
さて今年度は、新学習指導要領の全面実施を来年度に控えた移行の最終年度です。
お互い、実践研究を柱とした共同研修や個人研修に励んで、自信をもって来年度を迎えたいものですね。
ところで、ご承知の通り、研修は教育専門職としての私たちに与えられたところの他の職業にはない権利です。
ですから、教育活動に直接結びつく内容に限らず、いわば一般教養や社会的・通俗的な内容にかかわる研修でも間接的に教育活動に結びつくもの、教育者としての資質を高めるのに有効なものとして認められていて、そのチャンスを与えられているのです。
これは、ありがたいことですね。
大いにそのチャンスを活かして、幅広い研修活動に取り組み、日々の教育活動に反映させていきたいところです。
さて、その「研修」は、何よりも一人一人の先生方の教育者としての資質の高まりをねらいとしていますが、その高まり(「昂まり」と言った方が適切でしょうか)を支えるものは、モラールではないかと私は思っています。
モラールとは即ち「士気」のことですが、これは「志気」と言い換えても良いでしょう。単に「意欲」ととらえる人もいますが、内容としてはそれ以上に「方向性」を強く持ったものであると私は考えています。つまり「よりよく在ろう」とし「それに向かおうとする意志=志(こころざし)」を意味するものとして「士気=モラール」をとらえたいと考えているのです。そのようなモラールを持った人間として自分自身を育てていくこと、それが『研修=研鑽』の本来の意味なのではないでしょうか。
それは、私たち大人だけに求められているのではなく、自己を確立し社会に貢献できる存在として成長していこうとする人類全体に言えることで、当然子どもたちもそのような存在として育っていくことが望ましいだろうと考えています。
そのようなことを考えていたら、先日送られてきた『現代教育新聞(2001.4.1)』に次のような記事を見つけましたので、ご紹介して今年度の第一号としたいと思います。
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〜 略 〜
世の中はものすごいスピードで変化し、価値観も変化している。
世の中から求められる人間像も急速に変化している。
その変化に対応し、先導できる人が求められるようになってきた。
それは、しっかりした哲学を持ち、主体的に判断できる人のことである。
自己の確立とは、しっかりした哲学を持つということだ。
英語では、卒業式のことをコメンスメントと言う。
始まりという意味である。
自己研鑽をする資格ができた、これからは自らの意志で研鑽しながら進む、
その始まりが卒業ということなのだ。
そして、自分の力を存分に発揮して、人類の発展、それも精神的な意味も含めて、
に寄与したいという、高い「志」を持って欲しいと思う。
もうひとつ。
自分の人生は、自己責任で切り開いていただきたい。
責任を誰かに転嫁することで過ごす人生は楽でよいかもしれないが、
生きた、と感ずるには、自己を確立し自己責任をとりながら
生きなければできないことと思う。
〜 略 〜
『私の教育提言』
名古屋工業大学学長 柳田博明
平成12年度同大学学位授与式式辞より
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以前からこの「リサーチ」を通して申し上げているように、私たちの日々の教育活動には、「うまい教え方」などの指導技術(方法論)よりも、価値論としての確かな哲学を持つことの大切さを強調してきました。
それは言い方を変えれば、私たちがどのようなベクトルを内に持つか、ということだと考えています。そのことでしか、教育の質を高め、学校を再生する道は残されていないのではないかとも考えているのです。
そして、それは独り学校教育だけの問題ではないだろうとも考えています。
社会も家庭も、子どもをとりまく世界全体が、「子どもが育つとはどういうことか」「よりよい社会づくりに向けて、どんな人間像を描いていくか」「どのような資質を持った子どもをめざすのか」などと言ったことについて、単に方法論の問題としてではなく、価値(内容)の側面の問題として受け止め、真剣に論議を展開していく必要があるだろうと痛感しているのです。
それは、子ども自身にとっても言えることで、自分自身をどう育てていくか、どんな力や姿勢・構えを身につけていくか、と言った自己の確立への強く高い「志=士気」を持てるようにしてやることがどうしても不可欠だろうと思われてなりません。司馬遼太郎のことばを借りれば、『たかだかとしたこころ』といったところでしょうか。
それが子どもの自立を促す最善の道だからです。
つまり、高いモラールを持つということは、私たち大人にとっても、これから自分の世界を拓き広げていこうとする子どもたちにとってもすこぶる重要なことだと思わざるを得ないのです。
ですからこれからの学校では、私たち自身も子どもたちも高いモラールを持つことをめざした学校づくりを心がけていくことを第一義とすべきなのではないでしょうか。
年度の始まりにあたって、こんなことを考えてみましたが、それは「研修」と「研究」の両輪が相まってこそ具現化できるのではないでしょうか。
「生きる力」を重視した新しい学習指導要領が示されて以来、あちこちで『学力低下を懸念』する声が聞かれます。
このたび出された全国連合小中学校長会(会長=三上裕三・東京都豊島区立時習小学校長)の研究紀要では、それらの懸念に対して『趣旨を一部誤解し、知識の量的な削減のみに着目したもの』とし、『誤解を解くため、校長自ら教職員・保護者に「基礎学力に対する確固たる考え」を持って説得力ある対応をする』よう求めた旨の考えを打ち出しました。
同会では、アンケート調査の結果、全国の多くの小学校の校長先生方が基礎・基本を『自ら学び、自ら考える力を培う学習方法の習得』としたことを受け、『多くのことを教え込むことよりも、その後の学習や生活に必要な学習方法の習得を重視している』と分析し、それが「学力=学ぶ力」の重要な部分であることを強調しています。
このことについてまったく異論はないのですが、日本全体のこの変わり身の早さはどうしたことでしょう。つい数年前まで、『新しい学力観に拠っていたのでは、読み・書き・算の基礎学力など期待できるはずがない』とネガティブな発言をしていた人たちまでもが、今や「生きる力」について肯定的に論じ、その育成のために「学力観をとらえ直すことの必要性」について、あたかも以前からの持論であるかのように語っている光景をあちこちで目にします。1980年代から、今言われているようなことについて主張し、研究推進を提唱してきた私にとっては喜んで良いことなのでしょうが、お上(文部科学省)が言うことだからと言って自分のそれまでの主張を保留して「右へ倣い」をしてしまう風潮は、無節操としか思えません。自分の主張をするということは、そのことによってもしかすると友達を失くすかもしれないというリスクを覚悟することも必要です。それほどの覚悟と自分の実践と研修に基づく信念に立って自分の考えを変えるのでなければ、「生きる力」などはついに流行語で終わってしまうでしょうし、「総合的な学習の時間」の実践も何かに頼った横並びの『活動はあるが学習がない』もので終わってしまうでしょう。
それ以上に心配なのは、風向きが変われば、今回と同じように誰も彼もが一斉に「変節」してしまうのではないかということです。
ごめんなさい。つい興奮して過激に脱線してしまいました。ここで、私が書こうとしていたことは、そんな批判的がましいことではなく、「学力を育てよう」ということでした。
このところ私は、「学力」をこんな側面からもとらえてみようと思っているのですが、いかがでしょうか。
私たちが幼かった頃は、どこの家庭でも「子どもの仕事」がありました。
そして暗くなるまで没頭できる「外での遊び」もありました。
今の子どもの生活と昔の子どものそれを比較してみると、仕事と遊びが消えて、教育ばかりになっていることはすぐにわかります。「仕事」というと、おとなに言いつけられてすることで、厭なことだと考える人がいるかも知れませんが、仕事には目標があります。何のためにするのかがわかるところが良いし、また、仕事にはそれを終えた時の「やったぞ」という達成感もあります。こういう仕事ができるのだ、と自分が偉くなったような気分になれるのも良いところです。
また「遊び」にはいろいろな種類があって一口にどういうところが良いとは言えませんが、ともかくも楽しめるところが素晴らしいと思っています。
永野重史(放送大学教授)は、遊びを次のように分類しています。
(ア)知恵の輪のように、自分がものごとの原因で、自分が問題を解決したと喜びが味
わえる遊び。=仕組みがわかればなんとかなるという探究の喜びがある遊びであ
り、科学者の研究の喜びはこれに近い。
(イ)さいころを振って、出た目に従うという型の「偶然」の遊び。
遊んでいる仲間が、みんな「偶然」に支配されている状況も人間は好む。
(ウ)ジャンケンも、「偶然」の遊びのようにみえるが、相手の考え方を読むことがで
きれば勝つことができる。しかし、(ア)のパズルのように仕組みがわかれば必
ず自分が解決できるということはない。人と人とのかけひきの場なのだ。
(エ)一年の終わりにある「紅白歌合戦」の楽しみは、どちらが勝つかを、自分がレフ
リーになって見ている楽しみだ。
絵の展覧会に行っても、いつの間にか自分が評論家の目で見て楽しんでいると感
じることがある。子どもの頃を思い出すと、「秀吉と家康とどちらが使いか」などと言
って何日も論議をしていたことがある。評論という遊びがあるのだ。
「学ぶ力」から話が外れているようにみえるかも知れませんが、私が言いたいのはよく言われる「学習意欲」つまり、「これだけのことをぜひ学ばせたい」とおとなが考えている時に、都合よく子どもがおとなのねらい通りに学ぶ「意欲」のことではないのです。
子どもたちが先生の目的に合わせて熱心に学ぶのではなく、子ども自身が自分の活動に目的をもって学ぶような環境を用意するにはどうすればよいかということについて考察し、実践に移し替えることによってしか、「生きる力」に寄与する「学力=学ぶ力」は育て得ないと思っているのです。
「仕事」の話をするのも「遊び」の話をするのも、教育を生活の中の喜びや生きがいに結びつけて考えるようにしたいからで、私としては、この辺に「学ぶ力」の秘密があると思っているのです。
「仕事」には、先に見たように子ども自身が『家のために役立っている』とか『一人前として認められている』といったような効力感や有能感を味わわせてくれる何かがありますし、それ自体を楽しむ余地があります。
また「遊び」には、他の誰かから良い評価を得られるかどうかにかかわりなく、否むしろ評価とは無縁だからこそ、自分の探求心や創造心・洞察力を発揮して「遊び」そのものを楽しみ追究しようとすることができるのです。
そのあたりの事情については、波多野誼余夫(獨協大教授)の研究に詳しく述べられています。
外的評価は、より深く理解しようとする動機を抑制してしまう。
外的評価の学生は、評価なしの学生にくらべて翻訳の作業を「楽しかった」とする
傾向が低かった。
外側から評価を下すことは、学習をみずから進んで継続していこうとする意欲を
低下させるといえよう。 波多野誼余夫・稲垣佳世子 岩波新書「知力と学力」pp.156
子どもが生活の中にある「仕事」や「遊び」の論理を生かすことが、「学力」を育てることにつながると思われますが、そこで私たちが工夫できることは何なのでしょうね。
私たちは、これまで「教えるプロ」としての教師像を追い求めてきました。
教え方の上手な先生になることが夢で、そのテクニックを身につけようと先輩の授業を盗み見たり、真似しようとしたりしたものです。研究授業を参観していても、研究の主題そっちのけで「教え方」をどうするのかにばかり注目して参観したこともありました。
そのような「教え方の技術(ワザ・テクニック)」も大事なことに違いありませんが、子ども自身が自分の力と意志・意欲で学びを創りあげていこうとする授業を構成するには、もっと大切な何かがあると気がついたのは、教師生活を10年以上経た後でした。
特にこれからの教育に求められる「生涯学習社会で自立した学び手」として生き生きとたくましく学びを展開していける人間、つまり学校を離れたときに答えの見えない問いに
主体的に向き合っていこうとする人間を育てるには、「教えられて習うことに慣れた子ども」ではなく、自分の問いに自分の持つあらゆる智恵と手段を発揮して立ち向かうことを楽しめるような「学ぶ力を持った子ども」に育てることがますます重要になるでしょう。
一人の教師があらゆる分野の専門家として、子どもの本質へと向かう鋭い追究に応えることはとうてい不可能です。そこで、それぞれの教師が得意な分野を受け持ってチームを組んで指導にあたれば、子どものさまざまな問いに応えられるであろう、というT・Tに対するとらえがありますが、そうとらえてしまっては子どもの問いの数だけ専門的な知識を持った教師の数が必要になってしまうでしょう。
ですから、それはT・Tの本来の姿ではないし、教師はそのような単に「教える存在」ではないはずです。教師は、自らが「学ぶ主体」として、納得のいく解を求めて探ったり調べたりつくったりすることをおもしろがれる存在として子どもの前に立つこと、そしてその姿をもって子どもを「学ぶことの楽しさ」に誘うことでその機能を発揮すべきなのだと考えています。
すなわち「学びのコーディネーター」としてカリキュラムをつくっていける教師、その「学びの姿」に憧れられる教師が求められていると言っても良いでしょう。
そこで思い出されるのは、吉田松陰のことです。
何と言っても、松陰の「師」としての鮮烈な影響力の秘密はその人柄にあるのではないか、と種々の書籍を読むたびに思わされます。
有名な話ですが、彼が野山獄に投獄されたときも、同獄の札付きの悪党たちがことごとく彼を慕い、ことごとく改心したそうです。
ある囚人に対しては、『君はどうやら書がうまい。我々は君を師匠にして書を学ぼうではないか。』と他の囚人たちに提案し、自ら座を下がってその囚人を師として遇したと伝えられていますし、俳句の得意な囚人がいれば、松陰は皆を説いてその囚人の弟子になり進んで教わったという話も残されています。凶悪犯であっても、師匠に立てられた以上は凛然として師匠の気分になり、自分の長所を発見されたうれしさから懸命に講義に取り組んだようです。
そして、松陰自身は『自分にはあなたがたのような芸がないから』と言って、孟子を講義したと言われています。
このように松陰は、(身分差別のやかましい時代であることを考え合わせると驚くほどに)人間をどこまでも平等なものとしてとらえているようですが、この階級差別感のなさは松陰自身の人間に対する親切さと優しさに根づいているように思われます。
松陰が学問の家系に生まれ、幼いときから評判の秀才であり、12・3才にしてすでに藩士の前で講義をするほどの実力の持ち主であることを考えると、その隔てのなさは驚嘆に価します。どうやら松陰は現代風な言い方をすれば、誰に対しても平等にGentle(親切で優しい)に接することのできる、まさに「紳士(=Gentleman)」だったのではないかと思わざるを得ません。そのGentleな態度が囚人をすら感奮させたのでしょう。
松下村塾に集まった弟子たちが奮い立たないはずはないでしょう。
実際に松陰が松下村塾で弟子たちに指導をしたのは、3年に満たない短い期間でしたが、その間に松陰の影響を受けた弟子たちが彼の死後、日本を回天させる原動力になったことを考えるとその影響力の大きさに驚かされるばかりです。
松下村塾の塾生たちが起こした異様なばかりの昂揚は、松陰の優しさと親切によるばかいではないでしょう。塾生一人ひとりの資質を見抜く洞察眼の鋭さがなければ、久坂玄瑞や高杉晋作といった上級武士はもとより、伊藤俊介などの足軽のような軽輩である塾生たちも自分の隠された力について気づくことなどできず、奮い立つこともなかったに違いありません。
松陰の眼を通して見ると、塾生の誰もが尋常一様の者ではなく、ある者は天才であり、ある者は不抜の義士であり、またある者は百世に一人という烈士である、といった具合で、師としての松陰から指摘されてみればますますそのようになってしまう(そうなろうとしてしまう)というのが村塾の雰囲気だったようです。
松陰の不思議さと魅力はそこにありますが、その魅力は、弟子を「動かそう」としてそうしたのではなく、彼自身が真っ先に動こうとし、事実動いて結局は『かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂』という感想に表されているように、自ら進んでその志操と思想に殉じたことにあるでしょう。
こういう師に接していては、弟子たちも尋常ではいられなくなることでしょう。
そう書いてしまうと一種のアジテータ(煽動家)のようでもありますが、松陰の精神は人を煽動しようとするような、がらの悪い、下卑たものではなく、松陰にとっては、他人が動こうが動くまいがそんなことは問題ではなく、すべては自分の問題であり『自分はどうすべきか』といったことしか頭になかったもののようで、それが却って「人を動かす」隠れた力になっていたように思われます。
どうやら松陰という人は、人々がその「人格的な魅力と機微」に触れた途端に走り出したくなってしまうような、そんな人であったようです。
私たちは、29才という若さで死んでしまったこの天才を真似ることなどできそうもありませんが、少なくても『どうして人々が(やむにやまれず)走り出してしまったか』ということについて、あるいは『(松陰の)何が人々を動かしたか』ということいついて考えてみる価値はあるだろうと思われます。
「教える」ことによってではなく、自らの生き方を「示す」ことで、人々が自ら動き出したくなってしまうというのは、師としての最も望ましいあり方であると思われるし、今求められている教師像につながるものであると思われてならないからです。
どうやら松陰は私自身の「憧れの教師像」で、そうなれないことは痛いほどにわかっていても幾分でも近づいていけるようにと願っている「心の師」のようでもあります。
ちょっと古い話で恐縮です。(とは言え、つい3週間ほど前のことでしかないのですが、日進月歩ならぬ秒進分歩の現在、ずいぶん以前のことに感じられます。)
先日の小泉新総理大臣の所信表明演説はお聴きになりましでしょうか。
現在を「新世紀維新」と名付け、断固として改革を貫く所存であるという決意がよくあらわれた演説だったのではないかと個人的にはおもしろく聴かせてもらいました。
中でも『痛みを恐れず、既得権益の壁にひるまず、過去の経験にとらわれず、「恐れず、ひるまず、とらわれず」の姿勢を貫き、21世紀にふさわしい経済・社会システムを確立していきたい。』という言葉を聴いたときには、これは近年の総理大臣の演説にはない珍しい名フレーズだと感心しました。
どこまでできるか・やれるのかは定かではないにしても、そのような決意がなければ変革の戦略すら立たないだろうということを考えると、このような決意は評価されてしかるべきだろうと思われたのです。
ものごとを変えるということは、変えようとする自分自身も「耳に痛いこと」を受け容れたり、苦い薬を飲まざるを得なかったり、それまでの自分を否定して新たな自分を生み出したりするといった苦痛が伴うことが予想されますが、まず「痛みを恐れずに」とフレーズの冒頭で宣言したことは、その覚悟のほどが思われて嬉しくなりました。
どこまでやってくれるのか楽しみでもありますが、小泉人気を支えているのは、そのような「やれるかどうかは別として、何かが変わるかも知れない」という現在の閉塞状況からの脱出への『期待』なのかも知れません。
それにしても新内閣発足から3週間経った今でも、内閣の支持率が80%を越え、テレビの国会中継の視聴率がワイドショーのそれを凌ぎ、世の奥様方をして「ついつい国会中継にチャンネルを合わせてしまう」と言わしめる状況はすごいものがありますね。
聞けば、小泉首相を大写しにした1枚50円のポスターが飛ぶように売れ、増刷をしているとか。
それもこれも「何か変わるのでは?」という期待からだと思われますが、期待のもたらす効果の大きさをつくづく感じさせられます。
閑話休題、もう何年も前から叫ばれている『教育改革』ですが、行政もそして私たちにも小泉さんと同じような「痛みを恐れない」覚悟と決意はあるでしょうか。
これまで「よし」としてきた教育方法や指導方法、教育観や教育姿勢を否定し新たに築き上げていくのは、私たちにとっては「痛み」を伴うことに違いありません。
なぜならこれまで拠り所としてきた教育観そのものを根っこから変えていかなければ、『「教える」ことから「学びを指導する」』ことへの転換などできそうもないからです。
私たちも小泉さんにならって「(痛みを)恐れず、(障碍に)ひるまず、(成功に)とらわれず」に日ごとに自己を新たにしていく構えを持ちたいものです。
ところで、子どもたちの学習が変わるために、何が変われば良いのでしょうか。
それは、昨年度の校内研修の折にも話題になったことですが、「課題づくりどうするか」ということに集約ができるのではないか、と私は思っています。
私たちが望んでいるのは、子ども一人ひとりが自分の問いの解決に粘り強く問い続ける子どもの姿だと言って良いでしょう。自分自身をコントロールしながらくじけることなく、そして安易な答えに安住せずに「よりよい答え」を求めて取り組む契機となるのは、『放ってはおけない、ただごとではない、意味がある』と実感できる「課題」でしかないと思っているからです。
そして「課題」に関して言えば、どうやら私たちは『課題把握』とか『課題をつかむ』と言った言い方に象徴されるように、課題というものは子どもの外にあって、教師や大人が決めて、あるいは決める以前に社会的に認知されたもの、当然のものとして既にあって、子どもに与えられるべきものだというように無意識にとらえている傾向があるようです。
まるで子どもの内面には「意味のある課題」などもともと存在していないのでととらえているかのようです。
しかし、課題はそのように子どもの外に存在していて、子どもはそれを「見つける」だけのものなのでしょうか。そして、そのように自分の内にはなく、他から『これを解け』と与えられた課題に子どもは(子どものみならず大人も)それほど粘り強く取り組み続けることができるものなのでしょうか。
そして、そのような課題にいくら一生懸命取り組んだところで、それを「主体的な学習」と呼んで良いのでしょうか。
その人にとっての「課題」とは、対象との「かかわりを持とうとすること」だと私は考えています。
例えば、ラジオやテレビで『いいなあ』と思う音楽を聴いて、『何という題名の曲だろう』と思ったり、『覚えて歌って(演奏して)みたい』と思ったりした瞬間に、もうすでにその曲に対して主体的な取り組みが開始されたと言えるでしょう。『知りたい、覚えたい、演奏したい』からそれに向けて『どうすればよいか』『こうしてみようか』という心の動きが生じるからです。それは、その人にとってのまさに「主体的な問い」であり、心のうちに生じた「課題」に他なりません。
その音楽と『かかわり(関係)を持ってみたい』というように、自分と対象の間にあるつながりを意識すること、それが「課題」を持つことに他ならないのです。
「課題」とは、そのように「内に生じるもの」であり、だからこそ安易な答えで思考停止せずに納得行くまで問い続けたくなるし、やりがいも感じられるのです。たとえ大切なことであっても、それが他から与えられてしまうと、その瞬間に「自分の問い」ではなくなってしまい、与えてくれた第三者の満足を得られるためにどうしたら良いかというように問題がすりかわってしまいがちです。すなわち、人間にとって「課題」とは自分の外側にあって与えられるものではなく、自分の内に「わき起こる」「生じる」ものなのです。
学校教育活動全体を通して、(先生が背中に正解を隠し持って)『この問題を解いてみよう』という投げかけをし、やる気になれたかどうかや真剣に取り組もうとしたかどうか、正解を出せたかどうかをチェックするという基本的な姿勢から抜け出せるかどうか、それが改革の正念場になるのではないでしょうか。
具体的で体験可能な、そして身につまされる『こんな問題があって困っているよね。それを良い方向に持っていくためにどんなことをしてみたい?』という思考と試行が許される状況づくりがベースとなってこそ、主体的な問い(内発的な動機)を生むことにつながるはずで、そこに向かう工夫をすること、それこそが教育改革を成功させ「生きる力」の育ちに貢献できる学校づくりへの鍵になると思っているのですがいかがでしょうか。
あってはいけない事件が大阪教育大学附属池田小学校で起きてしまいました。
学校は、子どもと先生が『将来の夢を語り合い、育む場所』として、最も安全で、誰もが安心して集える場所であるはずなのに、何と言うことでしょう。白昼、しかも休み時間に侵入してきた男性が次々と抗う力の弱い低学年児童を刺し殺すという信じられない非人間的な事件が起きたことは、社会全体を戸惑わせているようです。
私は、読売新聞を購読していますが、今朝の新聞を見て愕然としてしまいました。
その論調は、学校の危機管理体制を強調したものになっているからです。
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6月10日付・編集手帳
いつでもだれでも、どうぞぶらりと学校に入り、気軽に教室ものぞいて下さい。
東京都小平市では、先月14日の月曜から土曜までが、そんな「一斉学校公開週間」
だった◆期間中に市内の小中学校二十七校を人口の一割にあたる一万七千人が
訪れた。多くは保護者だったが、それ以外の人も1500人を超えた。地域の人々がにぎ
やかにあいさつを交わす廊下や階段は、町の往来と変わらなかったそうだ
◆「一週間あったので何回も来た」「学校は何十年ぶり。元気な子どもたちに感激し
た」。市の教育委員会だよりには、市民のそんな感想も紹介されている。
今回が初めてで、今後は毎学期実施する◆学校を地域に開く試みは急ピッチで広が
っている。第一段階は校庭など施設の開放で、既に全国で九割を超える学校が実施
中だ。最近は授業や行事など子どもたちの様子を公開する第二段階に入っている
◆子どもは地域と一体で育てる。そのためには学校の垣根は、できればなくしたい。
そんな願いが込められてのことだ。が、往来が通じてしまえば、学校は町の現実に
直面することにもなる◆大阪の惨劇のやりきれなさがそこにある。警察などと連携
をとり、最低限、学校周辺の不審者情報などは把握しておく必要がある。塀に代わっ
て子どもを守るのは、教職員の目と心しかない。
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開かれた学校づくりは、「開くこと」に意味があるのではなく、社会に向けて地域に向けて開くことで、社会全体で子どもの育ちを見守り、よりよい成長をうながしていくことに意味があるはずで、今さら「閉じて」しまったのでは何にもならないのです。
大事なことは、学校でも駅でも町でも、誰もが安心して過ごせる社会づくりであって、
倶犯者(犯罪を犯すおそれのある者)が野放しになっている状態にあることの方が大問題なのに、それを何とかする手段を見いだせないままに、学校の管理体制をやり玉に挙げるのは、そして「開かれた学校づくり」の理念を覆して門を閉じてしまうことがあっては、本末転倒あるいは眼のつけ所が違うと言わざるを得ません。
しかも読売新聞の論調からは、「教職員が何とかすべきなのでは」という一方的な視点しか見えてきません。
池田小学校の校長先生は、『命を落とされた児童のみなさん、保護者のみなさんには本当に申し訳のないことをいたしました』と謝っておられますが、それでは何か打つべき手があったか、今度このようなことが起きないように備える有効な手段があるのか、と言えばそれは見当もつかないことでしょう。
なぜなら、この事件はまるで「青天の霹靂」のように「ないことを前提にした社会」で起きてしまった想像以外のことだからです。しかもこの事件の犯人の動機は無いに等しい。
これまでも何件か周囲とトラブルを起こして犯罪歴があり、しかも周囲の人々も犯罪を犯すのではないかと危ぶんでいたと言うではないですか。ひょっとすると人格障害の疑いもあるかも知れないとも言われています。そんな人を防ぐ手だてが学校にあるか、と言われれば今の状況では皆無でしょう。まさかそのような人がどこか近くに住んでいるとは思ってもいないし、ましてや学校に侵入してくるなど予想外のことだからです。
私は、この事件は学校で起きたことではあっても、学校の問題ではないと思っています。
それは社会の問題で、何をやっても「守られる」という不思議な人権社会が孕む由々しき問題だと思われてならないのです。
毎日新聞のコラムは、読売とは違った視点でこう論じています。
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逆縁。古来、子が親に先立つことを順縁に対してこう呼び、悲嘆の極みとしてきた。
戦争が起きるたび、多くの親たちが逆縁の悲哀をなめさせられもした。
考えようによっては、医学の進歩や教育、法律の整備など、人類は逆縁をなくすため
に努力を重ねてきたとも言える。その願いを無にしてしまったのだから、事件の衝撃は
あまりに大きい。容疑者はこれまでも事件やトラブルを繰り返していた。それならば、
どこかに防ぐ手立てがあったに違いない。そう思うと、余計にやるせない。
20年前、東京・深川で覚せい剤中毒の男が6人を殺傷する通り魔事件を起こした時の
こと。男が直前まで服役した刑務所の幹部は「あの男だけは刑期満了でも出所させた
くなかった」と悔しがった。
再犯を予感させる危険な行動が認められたのに、なす術(すべ)がなかったからだ。
今回も精神科医らは予兆を感じとれなかったのか。
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また、朝日新聞の「天声人語」も社会全体の安全という視点から次のように論じています。
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なぜこんな痛ましいことが起きたのか。防ぐ手だてはなかったものか。
それらは、これから調査が進むだろう。徹底した調べが必要だと思うが、考えて
いくと、難問が多い。わが社会は、それほど安全な社会ではなくなった。
まず、これを前提にする必要があるかもしれない。あらゆるところで安全神話が
ほころびてきている。学校も例外でなくなった。社会全体の安全対策の水準を、
もう一段引き上げる時期に来ているのではないか。
犯罪を起こす側について考えると、彼らへのブレーキがかかりにくい社会になっ
てきた。犯罪へと一線を越えようというときに、それを引きとめる人や仕組みが
弱い社会になってきた。
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繰り返して言いたいのですが、町でも駅でも道路でもそして学校でも誰もが安心して自分の生活をつくりあげていける社会でなければならないのです。それを求めて、これまで人類は営々と努力を積み重ねてきたと言ってもよいでしょう。ときに大きな犠牲を払いながらも何とかしてそのような社会の実現に近づこうとしてきたはずです。
自分の生活も大切にし、他の生活も脅かさないという社会を求めてきたのであって、他の生活を脅かす人たちが大手を振って町を歩ける社会をつくろうとしてきたのではない、という素朴な思いや願いを捨ててしまってはいけないのです。
お断りしておきますが、私は決して性悪説に立つ人間ではありません。
でも、薬物障害によって人格が変わってしまった人、あるいは何らかの事情で人格に障害が起きてしまった人の行為まで社会が市民に対して責任を負えるのか、ということについて懐疑的になっているのです。
性善説に立つから、立ちたいからこそこう言いたいのです。
学校が門扉を閉ざして、外部の人々をチェックし絶えず目を光らせていなければならないとすれば、その中で健全な考えを持った子どもたち、社会に進んで参加しようとする子どもたちなど到底育たないのではないだろうか、と。
本当に早いもので、つい先日一学期の始業式を迎え、入学式を済ませたばかりと思ったら、もう終業式。明日から夏休みです。先生方には一学期間、大変お世話になりました。
おかげさまで本校では大きな事故もなく、無事に終業式を迎えることができます。
先生方には、新教育課程への移行最終年度ということもあって、例年になくお忙しい一学期だったことと思います。どうか夏休みは、ご家族でゆっくり家庭の味を満喫していただいたり、普段手を出したくても出せなかった関心事にも触れる時間をとっていただいたりして2学期への鋭気を十分に養っていただきたいと思います。
とは言っても、出張や研修などで『それどころではない』とお叱りを受けるかも知れませんが・・・・。
ところで、この一学期間に私の頭を占領していたのは二つのことがらでした。
一つは、例の大阪教育大学附属池田小学校での悲惨な事件とその事件以降の学校を取り巻く社会の反応ぶり。
そしてもう一つは、新学習指導要領に対する社会のネガティブな反応の内容。
前者に関して言えば、(大きな声では言えませんが)詫間という個人が個人的なそしてあまりにも身勝手な事情から起こした理不尽な事件に対して、学校の無防備さを言い立てる人々のヒステリックな反応にいちいちお付き合いをする気は起きません。
事件を起こした犯人こそ『なぜそのような無抵抗で無力な幼児に危害を加えたのか』と責められるべきで、学校という子どもにとっての「安心の園」が責められるいわれはないと考えるからです。外に対して無防備でバリアを張っていないからこそ、子どもたちの楽しい集いと学びの場になるのであって、自らを鎧と武器でガチガチに固め警戒していたのでは、健全でのびのびと子どもが育つ学校=学舎などにはなり得ないと思っているのです。 そんなこんなでこの話題は関心事ではありますが、それは何とも言えない「やりきれなさ」を伴った考えたくもないのに頭から離れない、といった妙な関心事なのです。
さて、もう一方の後者の話題です。
新しい教育の動きを創り出してきた首謀者?のお一人に寺脇研先生がいますが、新学習指導要領の話になると必ずと言って良いほど、寺脇先生がテレビでの討論の場に引っ張り出されて、盛んに反対論者と戦っておられます。
反対論者の言い分は、(これも予想していたことですが)『このままでは日本の教育が心配だ』というものばかり。
なぜ心配かと言えば、内容が3割も削減されてしまうこと、そのことによって「読み・書き・算」の基礎・基本がしっかりと身に付かず、いずれ学力の低下を招いてしまうだろうというマスコミの報道に拠った安易で低次元な学力論に立っての懸念がほとんど。
「基礎・基本」と「学力(学ぶ力や学ぼうとする力)」、そして「関心や意欲(内発的な動機)」を別々なものとしてとらえ、考えようとすることから誤解や錯覚が起きているのではないかと思われてなりませんが、困ったものです。
そのような人たちは、どうやら「基礎的・基本的な内容」については、それを学ぶ意味については学ぶ時点では「保留」してでも頑張って「覚えること」が大切で、意味などは後でわかればそれで良いのだ、という時代錯誤な学習観を未だに信じているようです。
大切な「基礎・基本」だからこそ、自分にとって意味があり、何とかして手に入れたい
「欲しいもの」だという切実感や必要感をもって学び取って欲しいし、そのことによって「学ぶこと」の意味も「学ぶ内容」の意味も実感できる経験も持てるはずなのです。
そこで思い出すのは、仕立屋のフィールドワークを引き合いに徒弟制度の概念を用いて
「正統的周辺参加」を提唱したJ・レイブとE・ウェンガーの論です。
彼らによれば、徒弟制度の中でマイスターは新参者に「ボタン付け」を命じるのだそうです。(日本だったらさしずめ「掃除・洗濯」を命じるのでしょうが・・・)
なぜボタン付けか。
ボタン付けだったら後で修正がきくからだ、と言うのです。
しかも、ボタンは見えるところに付けるのだから、完成品として非常に大切でもあります。
そういう大切なところに新参者がタッチする。
これは言い換えれば、自分が何か世の中に対して「よい」ことをしているということで、この世の中でちゃんと通用している「本当の知」を学んでいるときにこそ、学びは「正統的だ」ということになるし、それを感じながら学習するからこそ、より成長していけると言うのです。
こういったことは学校教育では、あまりにも強調されてきませんでした。
でも、学校教育であれ、徒弟制度であれ、学ぶというときに生じていることには本質的な違いはないはずです。
新しい教育の動きに懸念を示す人たちのように「基礎・基本」とは、もともと面白くないものだ。それを学んでいる時は、そのことの意味はわからなくても良いのだ。という考え方や学んだ後でそれがどう使われ、どう貢献するかが次第にわかってくれれば良い、という考え方もあります。
しかし、この「正統的周辺参加」の論に見るように、学ぶ本人が「意味」を感じ「大切さ」を味わいながら本当に大切な価値としての「基礎・基本」を学び取れてこそ学習なのだという学習観について、社会にも保護者にもわかってもらう努力をしなければならないでしょう。
役に立つことは後回しにして、そこに至るための無味乾燥な訓練を「基礎・基本」と称して子どもを駆り立てることは、本当の「基礎・基本の徹底」と無縁のものです。
どうやら、新しい教育の動きに抵抗を感じている人たちは、そのような無味乾燥な訓練に耐える力が学力の重要な部分を担っている、と感じておられるようですが、そういった頑迷さをどう解きほぐしていくかということも学校の課題かも知れません。
総合的な学習についての説明会のようなものをどんどん開いていくことも大切でしょうし、子ども変容していく姿をもって理解を得ることも必要でしょう。
明日からの夏休みの間に、多少はできるであろうゆとりの中でもう少しこの問題と付き合ってみたいと思います。
先生方も夏の暑さに負けずに、楽しい夏休みをお過ごし下さい。
これまで学校では(と言うよりも高度成長が叫ばれるようになってこの方の社会全体の傾向としても)、「知識や技術」の陶冶に目を奪われてきました。
昔は、「知識と知恵」が人の教育に欠かせない二つの筋道だった、と言われています。
しかし、戦後の経済立国という目標とそのために個人の能力や競争力を高めるという命題に重きが置かれ、「頭と手足」の鍛錬が社会でも求められた結果、「知識や技術」を与えることに傾斜がかかったのでしょう。
ことに昭和30年代後半からの高度成長時代からは、その傾向に拍車がかかり、個人の生産力と購買力を上げることが個人の生活力の向上につながるのだ、との考えから「頭と手足」を鍛え磨くことが社会の最重要な課題として意識され、学校にも「知識と技術」を育てることが求められたのだと思われます。
私たち団塊の世代が子ども時代から青春時代を過ごしたのがちょうど高度成長期でしたから、相当大きな社会の変化を経験したように覚えています。
個人が持つなんて夢のような機械だったテレビが『あれよあれよ』という間に一般家庭に普及し、電気洗濯機がいつの間にか家庭に置かれ、氷で冷やす木製の冷蔵庫ですら商店にしかなかったというのに、何年かすると家庭で購入できるようになり、あっという間にそれが電気冷蔵庫の時代になってしまい、あろうことかテレビなんて一家に一台どころか二台も三台も持てるようになってしまい、それもモノクロからカラーに変わるのにそう長い時間はかからなかったといった有様。
自家用車を持つなどということも、テレビでよく見るアメリカのホームドラマの中でのことで、ごく普通の日本の家庭が自家用車でドライブに出かけられるようになるまで何年かかるか、と思われるほど遠い世界のことだったのに、今や家族の一人に一台の時代になってしまいました。
私の中学時代の友人の中には、成績が優秀だったのに経済的な余裕がなかったために高校進学をあきらめた友人が数人いました。まだ集団就職が華やかだった時代で、何人もの友人が中学を卒業すると同時に就職列車に乗って上京するのを駅まで見送りに行ったこともはっきり覚えています。食うや食わずの生活の中で、学校にお弁当を持ってくることができず、お昼休みになると運動場で遊んでいる友達もいました。
そんなに昔の話でもなければ、遠いどこかの貧困な国の話でもありません。
つい20〜30年前の日本はそうだったというお話ですが、そんな短期間で日本人はここまで、つまり欲しいものがあればさほど労せずに手に入れられるだけの経済力を持つに至ったのです。
今、日本は不況の真っ只中。不景気で生活が苦しいという言葉をよく聞きますが、私が見るところ不景気なのではなく、モノが行き渡った結果、特に購入してみたい、無理をしてでも手に入れてみたいものがなくなった、落ち着いた状況とでも言うべき時代を迎えたということなのではないでしょうか。
なぜなら、苦しいとは言いながらエアコンのきいた部屋に住み、ずいぶんと良い車に乗り、ちょっとがんばれば子どもを大学まで通わせることができているではありませんか。
そして、結構栄養価の高いおいしい食事を摂り、余分に貯めてしまったカロリーや脂肪分を消費するためにお金を出して薬を飲んだりダイエット教室に通ったりするといった皮肉なこともできているではありませんか。
それもこれも、かつての社会や学校が個人の生産力と競争力の向上をめざして「頭と手足」を鍛えてきたからに他なりませんが、これは学校を語る上では特異な状況だったと言わざるを得ません。
戦後の悲惨な状態から一日でも早く復興するためには、そうするしかなったし、それが最も効果的だったけれども、それが学校の通常の姿、在るべき本来の姿なのではないだろうと私は思っています。先にも書いたように、もともと教育とは「知識」と「知恵」という二つの筋道で考えられるべきものだからです。
戦後の教育が「知識と技術」に偏ってしまい、人間の深さとか、心の広さとか、腹の据わった落ち着きとか、人に恥じない生き方をするなどという、本来の人間の「知恵」に相当するものがほとんど手抜きの状態できたように思われるのです。
「知恵」というとすぐに思い浮かぶのは、せいぜい生活の知恵くらいで、それも「おばあさんの知恵」などに代表されるようなハウツーものの知識・技能程度です。
普段の生活の中で、「待つ」「我慢する」「心がける」「気を配る」「よいものをめざす」「自分から進んでやる」「思いやる」「見直しふり返る」などといった、心の構えに類するものは二の次にされてきたように思われるのです。
「知識・技術」は、たとえれば人の頭と手足。それに対して人生に対する心の構えとかモノゴトに対する姿勢によって支えられる知性、つまり「知恵」は「心と背骨」だと言って良いと思っています。
『「生きる力」を育てる』ということばは、現行の指導要領が公布されてからこのかた、一般にも使われるようになりましたが、つい数年前まで『わかるような気がするけど、いったい「生きる力」って何?』といった発言もよく聞かれました。
この「生きる力」の核をなすのは、「知識や技能」ではなく、心や背骨に相当する「知恵」であることは言うまでもありません。
これからの学校では、「知識と知恵」をバランスよく身につけていけるように教育内容を組織していかなければならないだろうと思っていますが、そのためには「目と耳」だけを働かせる学習では不十分でしょう。心の知恵袋にストンと納まって、骨格を形作る組織の栄養分や免疫として働くような「知」を獲得していくためには、五感を働かせて「考えること」「体験すること」が有機的に結びつくような学習の仕組みがどうしても必要になるでしょう。「鍛える」「しごく」「スパルタ」などの言葉とは無縁の、自分たちで体験し、自分で考え、自分たちで手に入れる喜びが味わえる学習。それが本来の学びであることを考えると、なおさら「知恵」の育ちの重要さが浮かび上がります。
それは、あたかも「総合的な学習の時間」に与えられた課題であるかのように思われますが、決して独り「総合的な学習の時間」だけの問題ではありません。教科の学習でも「知」を創りあげるのは、学び手自身であって、「知」は決して外から与えられるものではないのです。教科の学習でも道徳でも「知恵を働かせつつ知恵を身につけていく」総合的な、つ
まり「総合のような」学習の実現が望まれているのです。
先生方の指導案を拝見させていただいて、こんなことを考えました。
先日、ある人のお見舞いに牛久市内のある病院を訪ねました。
お見舞いを済ませて病室を出てきたときに、ナースステーションの脇の壁にたくさんのワープロ書きの文書が貼られた掲示板があることに気づきました。
病院から患者さんへのお知らせでも掲示してあるのかと思って近づいてみると、実はそうではなく病院に対する質問や意見とそれに対する病院側からの回答の文書でした。
その数およそ12〜13件。『病院でも情報開示が進んでいて、こんなふうに対応しているんだな。どんなことが書かれているんだろう。』と興味をそそられ、ざっと目を通してみました。中には、世の中にはこんな人もいるのかと驚かされたりあきれたりするものもあって・・・、というのが今回の話柄です。
ある質問の内容は、こんな趣旨のものでした。
この病院の外来受付の待合室には、女性の読む女性週刊誌しか置いていない。
我々男性が読めるような男性向けの週刊誌が置かれていないのは、片手落ち。
このことに対して当院はどのように考えているのか。
ぜひ男性向けの週刊誌を置いて欲しい。
この人はいったい何が言いたいのか、と思わずうなってしまいました。
待合室で退屈してしまうのなら、自分で何か(新聞でも本でも)用意して持ってくるべきでしょう。病院が週刊誌を置いているのは、「お読みになりたければどうぞ」という程度のサービスで置いているのであって、何がなんでも置かなければならない、という設置の義務があって置いているのではないはずです。
病院で多少の待ち時間があるのは仕方のないことで、そのための準備は個人のすべきことだと考えるのは無理があるでしょうか。(それでも病院の経営努力のおかげで、昔に比べればずいぶん待たされる時間は短縮されているように思われます。)
もしこんな理屈が通るのであれば、電車やバスの中にその日に乗車が予想される乗客の数に応じた雑誌や週刊誌を備え付けておくべきだ、などという意見も認められることになります。しまいには、子どもが読めるような本がない、とか自分はドイツ人なのにドイツ語の本が備えられていないので苦痛な待ち時間を過ごすことになった。電車やバスには、多種多様な国の人間が乗ることは十分予想されるので、それに応じた雑誌や週刊誌を備えつけておくべきだ。いや雑誌などではなく、自分は海外のニュースに関心があるのに英字新聞が置かれていないのは困る。などというとんでもないことを言い出す人だって出てこないとも限りません。それは考え過ぎだとしても、こんな意見も聞かなければならない病院が気の毒にも思えました。そして、もう一つにはこんなものすごい意見もありました。
病院の待合室を点滴をしながら歩いている入院患者がいて、とても
目障りです(本当に「目障り」と書いてあったのです)。
何とかならないでしょうか。
何とかしたいのはあなたの心情の方ですよ、と言ってやりたいほどの言い分。
入院患者は、リハビリを兼ねて病院の中を歩くこともあるし、何よりも自分の足で歩いて用を足すことに喜びを感じていて、それが病気やけがの治癒にも大きく役立っているのです。病院ですから、元気な人よりも具合の悪い人の方が多くいるのは当然。
それを「目障りだ」とはどういう心根から出てくる言葉なのでしょうか。
百歩譲って、自分が病気知らずの健康な身体の持ち主だから、ついついそう感じてしまったということがあったにしても、それを「意見である」として病院の姿勢を指摘するがごとく投書をするというのは、信じられないほどの非人間ぶりですよね。
どうも愚痴っぽくなってしまいますが、日本人は少なくても『こんなことを言ったら、自分の品性を、あるいは人間性を疑われてしまうのではないか』と恥をかかないような生き方をしてきたはずです。他人に後ろ指をさされないような生き方、恥ずかしくない生き方といった言葉に象徴されるように、「恥の忌避」が日本人の行動の基盤にあったはずなのです。恥をかくことを何よりも羞じるという心情が鎌倉以来の日本人をつつしみ深くしてきたと言っても過言ではないでしょう。
それは、積極的には「立つ鳥あとを濁さず」「身仕舞いを正す」などの言い方に示されるように、「美しい生き方」を求めてきた日本人の特質にも通じると思っています。
同じものを見ても人それぞれに感じ方が違いますから、その感じ方の違い方までも責める気は毛頭ありませんが(それにしても「目障り」と感じるのはあまりにもひどすぎると思いますが、それはさておいて)、そんなことを言ったり書いたりすることを「恥」だと思わなくなってしまったような人が日本人の中に出てきた、ということが恥ずかしいし情けないと思うのです。
そういう日本人が出現したというのも教育のなせるワザなのでしょうか。
自分の言っていることの意味もわからずに、あるいは考えることなしに口に出してしまう人たち、そしてもっと悪いことにそれを「過ちや欠けたところを指摘して正してあげるための正義の行為」だと思い違いをしてしまうような人たちを社会と家庭と学校で育ててしまったと考えると、暗澹とする思いです。
単にモノゴトを「知っている」だけではよりよく生きようとする姿勢に結びつく「真の教養」とはならないということを、この出来事でつくづく思い知らされました。
かつての日本人は、たとえ無学でも「生き方の哲学」を持っていたように思われますし、人間としての「誇り」も持っていたように思われてならないからです。これからの学校では、「真の教養とは何か」ということにも思いを致す必要があるのではないでしょうか。
私は、人にものを「教えること」がすこぶる苦手です。できることなら避けたいと思っているほどです。人にものを教えるなんて、そんなたいそうなことはご遠慮申し上げたいと思っている私ですから、胸を張って自信たっぷりに、しかも自分から進んで教えている人を見ると、『すごいなあ』『偉いなあ』と感心してしまうばかりです。
どうしてあんなに自信をもって語れるんだろう、まるで世の中のことや自然界のことを知り尽くしているようじゃないか、と驚き入ってしまう一方で、『でもその程度のことなら誰でも知っているかも知れないのに、この人は自分だけが知っていると思っているんだろうか?』といぶかしさも感じてしまうのです。
ちょっと過激な言い方をすれば、取るに足りない知識をふりかざして人にものを教えるなど、おこがましい行為だとしか思えないのです。
だって、教えられている人だって、その程度のことは知っているかも知れないじゃないですか。そんなことも推察できずに自信たっぷりに教えることがあったとすれば、それはとっても恥ずかしいことでしかないし、教えてもらう人にとっては迷惑なことでしかないと思われてならないのです。
だから、もし教えなければならないとしても、そのときには「遠慮がちに」「おずおず」と手をさしのべたいと思うのです。相手から「教えて!HELP」の声がかかったときには、一緒に苦労してでも全力を尽くしてお手伝いするにしても、そうでないかぎりは遠慮したいと思うのです。「教えてやる」なんてもってのほか。『なぜ私の話を静かに聞けないの?』などと言うに至っては、何かの勘違いだとしか思えません。
誰かから『教えて!』という声がかかったときに、できるだけお役に立てるように準備は怠らないようにはするが、自分からおせっかいをすることはしたくないのです。
人より早くシンセサイザーを学校に導入したのも、ワープロやコンピュータを早い時期に購入したのも、そしてパソコン通信やインターネットに飛びつき挑戦したのも、いずれそれらが一般的になったときに誰かのお役に立つことができるかも知れないという思いが幾分かあったからではないかと思うのです。もちろん新しもの好きだから、というのがその理由の大部分を占めてはいるのですが・・・。
おかげで、全国あちこちの講習会に引っ張り出されるようにはなりましたが、それだって自分から「教えたい」と言ったことは一度もありません。
だって、口下手で、うまい話などできそうもないのは十分わかっているのですから。
そんなことと無関係ではないと思いますが、私は「教えてもらうこと」も苦手です。
自分で解決したいのに、なぜこの人はおせっかいにも教えようとするんだろう、という気分が濃厚なのか、それとも自分の手で見つけだすことがおもしろいからなのか、あるいは自分の欲しているようなことを教えてくれる人がいなかったからなのか判然としませんが、ともかくも「自分の手と身体と頭で見つけたものしか身に付かない」と思っていることは確かです。
幸いなことに、私がシンセサイザーを導入した20数年前は、シンセサイザーについて詳しく知っている人は身近にはいませんでした。スイッチを入れても音が出ない、わけも分からずにあちこちツマミをいじっても妙な音しか出てこない、本当にこんな機械で音楽が演奏できるんだろうか、と戸惑ったものでした。
それでも『それはいったい何をするものなんだ?』と言う副校長を説き伏せて、決して安くはない機械を買ってもらった以上、後戻りはできません。
頼りは、電気系統の説明しか書いていない、楽器とはおよそ縁遠く、英語がやたらと多いマニュアルと自分の試行錯誤だけ。
それでも何度もやっているうちに、オッシレーターから出される何の変哲もないサイン波に電圧で変調をかけ、さまざまな波形を作りだし、それをまた電圧で増幅させればまがりなりにも音を作り出す(シンセサイズ)ことができるのだ、と気がつきました。
さらにいじりまわしているうちに、音の立ち上がりや減衰の仕方、ビブラートの早さや深さもあるツマミで操作することができることもわかりました。その後、参考書を買ってきて読んだところ、それらのツマミが「LFO」とか「Generator」を操作するためのツマミであることやその意味なども書かれていて、自分で試したこととその本の説明がうまくかみ合い合致して、納得がいったものでした。わけは分からなくても自分で試した音の作り方が間違っていなかったことを知ったからです。
そのときほど、教えてくれる人がいなくて本当に良かったと思ったことはありません。
教えてくれる人がいたらきっといろいろと口をはさしはまれたことだろうと思います。
『そんなことしても無駄だよ』『そうじゃなくこうだよ』『それはこうした方がいいよ』
などと、試す前に指示や命令が出され、失敗する余地もなかったでしょう。失敗することでたくさん身に付くのに、それを奪われてしまっては挑戦の楽しみは半減です。
誰かが言ったように、「師匠につくと自分のしたいことの支障になる」のです。
それはコンピュータに取り組んだときも同様でした。MS−DOSが一般的になる前でしたから、DOSの概念を理解するまでに、どれだけデータを失ったりにっちもさっちも行かなくなって立ち往生してしまったか数え切れません。そもそもコンピュータにやってもらおうとしているのに、逆に『フォーマットしてもいいですか?』などと質問されるなんて夢にも思っていませんでしたし、聞かれている内容も理解できなかった有様。マニュアルで調べようとすると、その説明が初めて目にするコンピュータ用語で書かれていたりして、益々泥沼の深みにはまっていく感じ。
そんな悪戦苦闘の連続でも、人に聞かれれば教えてあげられるようにはなるものです。
それは偏に、教えてくれる人がいなかったからですし、失敗したからだと思うのです。
悪戦苦闘することの楽しさは子どもの頃から知っていたとは言え、この経験でいっそうその思いを強くすると同時に、「教えること」が教育(=育ちと学びを促す作用)の本質ではないかも知れないとも思い始めたのです。
そう書いてしまうと、どうも表現が的確ではないような気がします。
そうではなく、子どもの頃からおぼろげながらそう思っていたけれども、そう確信できたと言った方が良いでしょう。
「支障にならない師匠」になるために、子どもにどう接すれば良いか、どうしたら自力で学んでいって成果を身につけられるような子どもの育ちに寄り添えるか、といったことがそれ以来の私の関心事となりましたが、その話はまたいつか。
今次の教育改革の動きが出てきた背景の一つに、学校の抱える問題(例えば校内暴力や対教師暴力などに見られる「荒れ」、あるいは偏差値に代表される目に見える「学力」が真の学力たり得るかといったことに対する反省、画一化教育のもたらす問題等)が浮き彫りになったことが挙げられます。
ところで、そのような「荒れ」やその数年後に話題になった「学級崩壊」に対する対策が「戦術」の問題であるとすれば、21世紀を展望した教育の在り方は「戦略」の問題である、という記事を何かの雑誌で見たことがあります。
しかしそれは本当にそうなのでしょうか。
「戦術」とは、想定されたあるゴールに行き着くための道筋や方法を案出し練り上げるることだと言えますし、「戦略」とはゴールをどこに定めるかということも含めた大局的・総合的な立案だと言うことができるでしょう。
ですから、「戦術」にかかわる問題は、その解決の「方法や手段」を工夫したり実際に解決に向けた行動を起こしたりすることで解決が期待できるでしょうが、「戦略」の問題は「方法や手段」といった技術的なことでは解決は期待できないと思われます。
なぜなら、問題の所在も次元も違うからです。
先日の授業研究の折にお話しした「三春町」の町を挙げての実践と成功は、抱えている学校の「荒れ」の問題も「戦術」の次元ではなく、「戦略」の次元でとらえたことが成功のカギになったと言われています。校内暴力や家庭内暴力、小中学生の自殺などの悲劇といったことに象徴される「教育の荒廃」の根にあるのは、『学校生活がかならずしも子どもたちに充足感を与えていない』し、子どもたち自身も『子どもとしての生き方に怠惰』なことである、と感じた教育長さん(武藤義男氏)は、小手先のワザでは効果を生まないだろうと思われたのでしょう。
具体的な話については、日本評論社の『やればできる学校革命』に詳しく書かれていますが、『なんでこんなたいへんときに教育長なんか引き受けたんだね?』と言われるほど荒れてしまった三春町の教育長を引き受けた武藤教育長さんがまずおやりになったことは、校長先生方を招集することだったと言います。
それまでの教育長からの話といえば、県教育長からの伝達とか県の教育委員会のかかわりで一方的に示される事務連絡が主だったのに、「教育とは何か」について議論をしようと提案された校長先生方はそうとう面食らったようだった、と教育長さんは振り返ります。 しかし何よりも教育そのものの基本原理を確認し合うことが三春町の教育を復興させる上で何よりも大切だと考えた教育長さんは、これを機会に校長先生方との話し合いを「学校経営懇談会」として定着させ、校長先生方もそれに応えて夜遅くまでその主題「教育とは何か」について議論を重ねたと言います。
時には、教育長さんの理念が理解できず、目先の「学力向上」とか「生徒指導の徹底」といった、即効薬を求めるような方向に議論が向くことがあっても、その都度教育長さんが議論の内容を整理し、情報を整え、次回の話し合いで共通理解が深まるようにしたことで徹頭徹尾「教育とは何か」という本質についての論議が深まり、町の議会や文教委員も熱心に耳を傾けてくれるようになったと言います。
これがもし、対症療法的な話し合いに終始するようであれば、全国から注目されるような町にはとうていなり得なかったでしょうし、寺脇研先生をして『三春町の教育活動をつぶさに見たことで、教育改革は成功させることができるだろうという自信が持てた。』と言わしめることができるような改革の実現には結びつかなかったことでしょう。
また、このような動きに建築家も応え、理想の教育を実現できるような学校を設計し創りあげようとして、全国からの参観者が絶えないような町になったことにも着目しなければならないでしょう。建物がまずあって、その建物にふさわしい教育、建物の機能を生かせるような教育を展開しよう、というのではなく、教育に対する理念と方向性が確立されていたからこそ、それを実現できる建物が具体的にイメージできるし、建物の機能を損なうことなく生かしたり、建築家が予想もしなかったようなうれしい効果を生み出せるような生かし方ができ、子どもたちが喜んで「学びに参加」できる学校になり得たのでしょう。
それが三春町の教育改革成功のカギだと思われますが、それは決して「戦術」の賜ではなく、教育長さんを中心とした校長先生方、学校現場の先生方、そして町の住民の方々の「教育観」「教育哲学」が成熟したことによる「戦略」の賜なのです。
これまで、そうした「戦略」については行政側や教育学の研究者が責任を持つから現場は「戦術」を練って実行することに努めていればよい、という気分が教育界にありました。
しかし、三春の成功例に見るように、この教育改革を成功させるためにはそうであってはならないのです。考えることは専門家にまかせ、自分たちは実行するだけでよいというのでは、学校の再生はおぼつかないのです。なぜなら、この教育改革は「学ぶことやわかること」の意味を組み替えることを基盤として、「学校とは何か」ということを問い直し、子どもにとって本当に意味のある「ねうちのある生き方」をめざせるような人間を育てることのできる「学びの場」として学校を生まれ変わらせようという動きだからです。
そこでは教育そのものを問い直すことが不可欠ですが、それは私たち教師一人一人が子どもたちとの直接の触れ合いと実践を通して哲学していくことによって、より確かな動きとなるだろうと考えているのです。それは、他でもない「戦略」を練ることだと言えますが、他の誰かに任せ委ねてしまってはいけないことなのではないでしょうか。